以前「ボッコちゃん」のレビューの中で、「自分のお小遣いで初めて買った文庫本は、星新一の「マイ国家」だった」と書いた。星新一のショートショートは、小説を読むことに楽しみを見いだせるようになりたての中学生にはとても読みやすかった。
本書「三十年後」は、ショートショートの神様であるSF作家・星新一の父であり、星製薬の創業者であり、星薬科大学の創設者でもある実業家・星一が、大正7年(1918年)に発表したSF小説である。
物語は、大正7年に日本を離れ、30年間無人島で暮らしてきた嶋浦太郎が日本に戻ってくるところから始まる。61歳で無人島に渡った嶋浦翁は91歳となっていた。
彼が日本を離れていた30年間で、世界は大きく変化している。大正37年の世界では、人間の感情その他あらゆる状態を改善しコントロールするクスリが発明されたことで争いごとがなくなり、平和が現実のものとなっている。若返りのクスリも発明されているため、みな100歳を超えても若々しい。嶋浦翁には、そのすべてが新鮮で驚くべきことだ。まさに彼は“浦島太郎”なのである。
星一「三十年後」は、作品としてはかなりトンデモな作品と言える。なにより、この作品が突飛なのは、本書がけっこうあからさまに企業宣伝と著者自身の自己顕示に溢れているところだ。
本作では、様々なクスリが発明され、そのクスリの効果によって世界的な平和が実現されている。平和で争いがないから、警察組織も必要なくなっている。そんな平和な世界をもたらした画期的なクスリを発明し販売しているのが、何を隠そう《星製薬株式会社》なのである。
無人島で俗世間から離れ、30年後の世界に戻ってきた嶋浦翁にとって、この文明の進化は驚愕すべきことだ。嶋浦翁は、この世界を築いた功績者は、いったい誰なのかを知りたいと考える。できることなら、その人物に会いたい。嶋浦翁は、首相に頼んで、隠遁生活を送っているというその人物に会いに行く。そこで嶋浦翁を出迎えた人物とは? おおよその予想はついているかもしれないが、ここでは答えには触れずにおこう。
冒頭にも書いたように、本書は星新一の父である星一が、1918年に発表(アイディアを星一が出して、江見水蔭という作家が文章化)したものを底本として、星新一が読みやすく要約したものを、星新一の娘であり星一の孫である星マリナさんが出版したものである。星マリナさんが代表をつとめる星ライブラリによる限定自費出版で新潮社から販売されている(限定3000部で原則として注文販売)。親子三代の連携によって、出版から97年後に改めて世にでることになった幻の小説なのである。
ちなみに、初出時のオリジナル作品は、「近代デジタルライブラリー」にアーカイブされていて、インターネット上で読むことができる。オリジナル版には、「三十年後に題す」という序文もある。興味のある方は、オリジナル版を読んでみてはどうだろうか。