タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「全共闘世代」と呼ばれた人たちって、きっと誰もがスズキさん的な熱さを持っていたのかもしれない−矢作俊彦「スズキさんの休息と遍歴−またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行」

かつてこの国には、国家という強大な権力に対して敢然と立ち向かう若者たちがいた。彼らは「全共闘世代」と呼ばれ、安保闘争ベトナム戦争反対運動、成田闘争などを繰り広げ、警官隊、機動隊との衝突を繰り返した。

スズキさんの休息と遍歴―またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行 (新潮文庫)

スズキさんの休息と遍歴―またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行 (新潮文庫)

 

矢作俊彦「スズキさんの休息と遍歴−またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行」の主人公・スズキさんは、まさにこの「全共闘世代」に該当する人物だ。学生時代に様々な闘争に関わり、権力への反骨を旗印に生きてきたスズキさんは、40歳になり、妻と一人息子のケンタと暮らしている。立派な中年となった今でも、権力に対しては立ち向かう精神を失っていないが、そういう愚直なところは時代から完全に取り残され、むしろ滑稽で哀れさを伴う。

スズキさんは、かつての同志から送られてきた「ドン・キホーテ」に誘われるように一路北へと向かう。息子・ケンタを連れ、愛車・シトロエン2CVを駆って。その道中では、様々な人たちとの衝突を繰り返す。外国人労働者に対する不躾な取材を行うテレビクルーに対して。神社の境内で屋台を営業する香具師を取り締まろうとする警官に対して。外車だからという理不尽な理由で高額な代金を請求するフェリー会社に対して。納得のできないことがあれば、とことん対決するのがスズキさんの信条なのだ。

スズキさんは、まさにドン・キホーテである。彼が闘争に明け暮れた時代はすでに過去であり、それでもその思想信条を曲げられないスズキさんは、騎士道に取り憑かれ世直しに奔走して空回りするドン・キホーテそのものだ。そんなスズキさんに振り回されながらも冷静に対応する息子・ケンタはサンチョ・パンサであり、愛車・ドーシーボーはロシナンテなのだ。

本書は、1988年から「NAVI」に連載され、1990年に刊行された。全共闘世代が闘争に明け暮れていた1960年代後半から70年代前半の時期からはすでに20年が経過し、日本はただただ平和で、若者も争うことをしなくなった時代である。

あれから更に25年の月日が流れ、日本人は闘うことをしなくなった。どんなに理不尽な法律が成立しても、もしかしたら将来戦争に駆り出されてしまうかもしれないような理不尽な憲法解釈がまかり通っても、ブラック企業に低賃金で不当に働かされても、現在に生きる我々日本人は強く抵抗することを諦めてしまっているように思うし、事実私自身が無難に日々を過ごすことだけに汲々としている。

ヘイトスピーチや過激なテロリズムのような暴力的解決法は非難されるべきだし、許されるものではない。でも、決められたことに唯々諾々と従属するだけでなく、常に疑問を持ち、時には権力を問い質すような反骨さは、発揮すべきなのではないだろうか。本書を読んで、そんな感想を持ったのは、今の時代に読んだからなのかもしれない。