タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「白昼の死角」高木彬光/角川書店-戦後の混乱した日本社会を背景に繰り広げられる頭脳ゲーム。法の盲点をついて行われる鮮やかな犯罪

白昼の死角(角川文庫版)

 

 

「狼は生きろ、豚は死ね」というキャッチコピーが、今でも記憶に残っている映画「白昼の死角」。本書はその原作となる。角川文庫版の初版は昭和51年(1976年)10月30日で、私が読んだのは昭和53年(1978年)9月30日発行の第8刷。いずれにしても、もう50年近く前に出た本ということになる。ちなみにカッパノベルス版で最初に出たのは1960年とのことなので60年以上前だ。現在は光文社文庫版が比較的容易に入手可能で、Kindle電子書籍もある。なお、映画は1979年に公開されていて、一部のサブスク配信サイトで現在も視聴できる。(私はU-NEXTで視聴した)

「白昼の死角」は、戦後すぐの混乱した時代を舞台として、法律の盲点をついた巧みな戦略戦術で大企業から大金を騙し取る詐欺師鶴岡七郎を主人公とするピカレスクロマンである。物語はまず、作家が熱海の温泉旅館で鶴岡七郎と出会い、彼が行ってきた驚くべき犯罪の数々を知るところから始まる。鶴岡の話に驚愕する作家に彼は、「ある時期になったら、今の話をすべて発表してもいい」と告げる。

つまり「白昼の死角」は、実際に起きた事件をもとにして書かれた小説という体裁になっている。鶴岡七郎をはじめとする登場人物の名前などは変更してあるが、書かれている犯罪行為はすべて現実に起きたことだという“設定”なのだ。

ただ、すべてが創作というわけではない。鶴岡が東大在学時に起こした『太陽クラブ』という闇金融会社と太陽クラブを起業した隅田光一という男には、モデルとなった事件、人物がある。興味のある方は『光クラブ事件』で検索してみてほしい。

隅田という男は、教授たちも一目を置くほどの秀才であり、太陽クラブは隅田が主導する形で発足した。しかし、頭が切れすぎるが故に線の細い隅田は、物価統制令違反で警察に逮捕され、太陽クラブの運営が厳しくなると、狂気の末に自殺する。隅田の弱さに気づいていた鶴岡は、自らはもっとうまく犯罪を成し遂げられると考え、法律の盲点をついた数々の経済犯罪に手を染めていく。

作中で鶴岡が実行する犯罪は、戦後間もないという時代的な背景を抜きにしても、鮮やかで痛快でもある。詐欺で金を騙し取る相手は大企業であるということも、鼠小僧のような義賊的要素があって、読んでいて痛快さを感じるのかもしれない。

例えば、手形のパクリ詐欺。これは、企業が発行した約束手形の割り引きを悪用して金銭を詐取する手口だ。混乱する時代、銀行が貸し渋りする中で資金繰りが苦しいのは大企業も同様であり、高い金利であっても街金業者を利用して一時的な運転資金を確保する必要がある。その弱みにつけこみ、鶴岡は仲間たちと共謀し、一夜にして、いや実質的にはわずか数時間のみ架空の会社を出現させて相手を騙し、手形を詐取する。後日、手形を騙し取られたと気づいた相手のところへ鶴岡は善意の第三者の顔をして、自分のところに持ち込まれた手形を買い戻してほしいとやってくる。相手は、一連の行為がパクリ詐欺だとわかっていても、法律上は鶴岡が持ち込んだ手形を買い取るしかない。なぜなら、手形が不渡りになれば会社は倒産してしまうからだ。こうして鶴岡は、鮮やかに大金を手に入れるのである。

私のように法律にも経済にも疎く、かつ物語の舞台となる時代を知らない読者からすると、本書で描かれる数々の犯罪がどの程度実現可能なのかはわからない。令和の時代の現在では間違いなく実現は難しいだろう。ただ、この物語の舞台となっている時代に比べて、格差が拡大していると思われる現代社会においては、鶴岡七郎のような大企業を相手に鮮やかに詐欺を働く犯罪者は、一部の人々からは義賊のようにもてはやされるかもしれない。

作品の舞台となった時代や作品が書かれた時代を考えると、現在の価値観からは少し眉をしかめたくなる場面や設定、登場人物のキャラクター像が多々あるのは必然であろう。手形をパクられた企業がサルベージ屋と呼ばれる反社会的勢力(ようするにヤクザ)に依頼して鶴岡七郎を襲撃する場面もあるし、当の鶴岡自身もヤクザとは切っても切れない関係にある。女性の登場人物たちも、鶴岡の罪を知ってそのことに苦悩しまっとうな道を歩むことを望みながらもただ従い耐えるしかない妻、鶴岡の悪事にほくそ笑み、彼の背中を押すようにして罪の道を歩ませる愛人といったキャラクターとして描かれる。彼女たちは、形は変われども鶴岡に寄り添い、彼のためには命をも投げ出す“尽くす女”たちだ。現代の小説では、フィクションであってもこうした男に従うだけの女性が描かれることは少ないだろう。企業と反社のズブズブの関係や男に尽くす女性といった価値観の違いは、古い作品を読むとその変化を強く感じられる。温故知新とはこういう読書経験からも実感できるものだ。

高木彬光の作品は、いまでも光文社文庫版で本書を含む代表的な作品が現役で入手できる。書店で文庫本を見つけられなくとも電子書籍化もされている。古書店でも比較的手に入りやすい作家かもしれない。私は高校生くらいのときに「刺青殺人事件」にはじまる『名探偵神津恭介シリーズ』にハマり、そこから社会派ミステリーの「人蟻」や「誘拐」、歴史上の謎にせまる「成吉思汗の秘密」、「邪馬台国の秘密」といった作品を読みふけった。今回、「白昼の死角」を読んでみて、高木彬光作品にハマっていたあの頃を思い出した。