昨年(2016年)が没後100年だった夏目漱石は、今年(2017年)が生誕150年である。ちょっとややこしいが漱石に罪はない。
本書は、芥川賞作家の奥泉光と作家をはじめマルチに活躍するタレントのいとうせいこうのふたりが定期的に開催しているイベント『文芸漫談』の中から、夏目漱石の作品について語り合う回をピックアップしたものだ。取り上げられている漱石作品は以下の通り。
それぞれの作品について、奥泉氏といとう氏がマニアックなやりとりを展開する。『文芸漫談』とあるように、ふたりのやりとりは漫才のボケとツッコミのようで、基本的には奥泉氏がボケ、いとう氏がツッコミの役割になっている。それも、必ずしも役割として決まっているわけではなく、ときに入れ替わったりもする。
また、取り上げている作品の対談にはキャッチコピーが付けられていて、例えば「こころ」の回は。
鮮血飛び散る過剰スプラッター小説『こころ』
とあり、「行人」の回には、
ディスコミュニケーションを正面から捉えた『行人』
とある。どれも、作品の本質であったりポイントを捉えた読者の目を惹くキャッチだ。
ふたりの対談の内容も、なかなか興味深い話が多い。例えば、「こころ」に出てくる先生の遺書や「行人」に出てくるHの手紙についての話。どちらも遺書や手紙にしては分量が多い。「こころ」の先生の遺書は原稿用紙で200枚くらい、「行人」のHの手紙は100枚くらいの分量になるという。先生の遺書について、いとう氏は、
今、作家がこれを書けば、遺書部分が長すぎると編集者に言われて、書き直しさせられるんじゃないかな。
コメントしている。
また、奥泉氏は「坑夫」の回の中で、夏目漱石の書き癖について気づいたと言う。それは、人称小説における人物の出し方のことで、漱石の作品には工夫が見られると言う。それは、前フリなどなく書き出しから主人公を出してしまうというもので、
「道草」の書き出し〈健三が遠い所から帰って来て〉
「門」の書き出し〈宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して〉
「明暗」の書き出し〈医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した〉
と書き出しもしくは第一センテンスで人物名を書いてしまっている。三人称小説では、いかに違和感なく人物の名前を出すかで作家は頭を悩ませるそうで、漱石は有無を言わせず冒頭に出して押し切ってしまうのだ。
書き癖の話など、自身も作家である奥泉氏ならではの視点で、漫然と小説を読んでいるだけの私のような平凡な読者には気づかないようなことだと思う。こうした様々な発見や薀蓄が盛りだくさんで、漱石作品に関する新しい発見がある。ところどころ笑いどころも交えながら、楽しく文学の深い知識を得られるのが『文芸漫談』シリーズの面白さだと思う。