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【書評】フェルディナント・フォン・シーラッハ「カールの降誕祭」(東京創元社)-クリスマスだからって、誰もが幸せなわけじゃない

4月なので完全に時期外れだが、フェルディナント・フォン・シーラッハ「カールの降誕祭」はクリスマスの本である。

カールの降誕祭(クリスマス)

カールの降誕祭(クリスマス)

 
カールの降誕祭

カールの降誕祭

 

 

クリスマスの本であるが、そこはシーラッハの作品。ほのぼの平和なクリスマスを迎えさせてくれるはずがない。何やら血なまぐさい雰囲気がプンプンと漂ってくる作品ばかりが、読者の背筋を次々と寒からしめる。

収録されているのは3編。「パン屋の主人」、「サイボルト」、「カールの降誕祭」である。この中では「サイボルト」が個人的にお気に入りだし怖い。

裁判官として定年まで働き続けたサイボルトは、定年後にヴェネツィア旅行に出かけるも、それほど楽しめないままに帰国する。3ヶ月後、彼は裁判所を訪れ、女性裁判官に訴訟手続き中のファイルを見せて欲しいと頼む。彼は、ファイルをチェックしコメントを残して帰る。以降彼は、毎日のようにやってきてはファイルをチェックするようになる。

ある日、彼はガレージで車上荒らしを働こうとしている窃盗犯を発見する。サイボルトは機転を利かせて窃盗犯をガレージ内に閉じ込め、警察に引き渡すが、実は彼らは窃盗犯ではなく、彼らに訴えられたサイボルトは監禁の罪で告発される。罪の軽さもあって不起訴となるが、それ以降サイボルトは行方不明となってしまう。そして4年後、彼は遠く離れたタイのプーケットで遺体となって発見される。

仕事一筋に生きてきた堅物の裁判官が、定年を迎えて自由な時間を手に入れる。だけど、仕事以外の楽しみを持たなかった彼は、次第に壊れていく。そのプロセスが我が事のように身に詰まる。ワーカホリックで趣味を持たない仕事人間は日本人にもたくさんいる。定年後に生きがいを失ってしまい、腑抜けのようになってしまうお父さんたちの姿は、サイボルトのそれと通じるところがあるのではないか。

本書に収録されている3編は、いずれも抑圧され続けた人間のタガが外れたときの怖さが描かれている。秘めた恋心を胸に彼女に捧げるケーキを作ることに心血を注いだパン屋の主人は、その恋心が破れたときに切れる。母親の支配に絡め取られ、自分の感情を押さえつけたままに成長してきたカールは、最終的に母親の支配のくびきから逃れるため最初で最後の抵抗をする。

彼らのように抑圧され続けた人たちにとって、クリスマスが安息の日ではない。だが、クリスマスに彼らが解放されたという意味では、クリスマスは、やはり幸せの日なのかもしれない。