3.11以後、様々な震災文学が出版された。直接的に震災と震災以後を扱った作品もあれば、震災には直接的に触れずに、だけど登場人物たちの心の奥底に震災の影が見え隠れするような作品もある。
彩瀬まる「やがて海へと届く」は、震災によって友人を失った主人公の再生を描き出す。
私(湖谷)は、お酒の輸入販売会社が出しているレストランのホール係として働く女性。彼女には、震災のとき被災地にいて、おそらく津波に巻き込まれたのであろう、行方不明となっている友人すみれがいる。私とすみれは学生時代からの友人で、気の置けない仲だった。私はすみれの存在によって救われていたところがあった。
ある日、私はすみれの恋人だった遠野から、すみれの荷物を処分するので立ち会って欲しいと頼まれる。私にとって、すみれは、まだその死を受け入れることのできない存在だ。私には、すみれの荷物を処分しようとする遠野も、まだ死んだことが確認されてもいないのに、すみれの死を受け入れてしまった彼女の母親にも反感を抱いている。
深く友情を育んだ友だちが、ある日突然目の前から姿を消してしまう。周りの人は、友だちの死を受け入れ、次の未来に向けて歩み出すが、私はそれを受け入れることができない。それは、彼女の死を受け入れることが、私の心の中にある彼女の思い出のすべてを消し去ってしまうことになるかもしれないから。だけど、そのことが逆に私の胸を重く深く苦しめている。
すみれを失った私の喪失感を埋めるのは、すみれに代わる新しい存在を見い出すこと。すみれの母親も、遠野も、すみれを忘れたわけではなく、彼女の代わる存在を見つけた、あるいは見つけることに決めたから、彼女との訣別へと踏み出したのだ。
喪失を埋めるのは簡単なことではない。現実世界でも、あの震災によって失われたありとあらゆる物事を、今でも深く心に刻みつけたままで、時が止まったかのように足を踏み出せずにいる人たちがいる。彼ら、彼女らが憂いのくびきから抜けだして新しい未来へと足を踏み出すには、まだまだたくさんの時間とたくさんの出会いが必要なのだろう。
本書には、著者自身が経験した震災のリアルから生まれた様々な想いがこめられている。自らが被災者となり、ボランティアとなり、あの日一緒に避難所で過ごした人たちとの出会いがあって、その経験が本書につながったのだと思う。きっと、タイトルの「やがて海へと届く」は、著者から愛する者を失った被災者たちへのメッセージなのだ。
本書では、私はある気づきによって未来へと足を踏み出す。それは、すみれとの訣別を意味するのではなく、すみれの喪失という憂いとの訣別である。そして、私はまた新しい人生を築いていく。私のその想いは、きっと、やがて、海へと届き、そこにいるはずのすみれにも届くだろう。