タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「刑罰」フェルディナント・フォン・シーラッハ著/酒寄進一訳(東京創元社)-小説を書くことがシーラッハ氏が自らに課した『刑罰』なのかもしれない。

 

 

「犯罪」「罪悪」に続くフェルディナント・フォン・シーラッハの短編集シリーズの第3作にして完結編となる作品である。モニター募集に当選して、刊行前のゲラの段階で読む機会をいただいたのだが、本格的なレビューを書くのが刊行後になってしまった。なお、モニターとしてゲラを読んだ感想は、東京創元社のWebサイトに掲載されている。稚拙な感想コメントですが、ご興味ありましたらアクセスしてください、

本書には12篇の短篇が収録されている。

参審員
逆さ
青く晴れた日
リュディア
隣人
小男
ダイバー
臭い魚
湖畔邸
奉仕活動(スボートニク)
テニス
友人

12の短篇には、それぞれにドラマがあり、登場人物たちの様々な葛藤や境遇、感情のうねりや冷酷さが描かれる。いかなる理由であっても、罪を犯したものはその罪の重さに見合った罰を受ける。「刑罰」は、罰を与えるもの、与えられるもの、自らに課すものの人間ドラマを描き出す。

最初に収録されている「参審員」は、15ページほどの短篇だ。参審員に任命されたカタリーナが主人公なのだが、物語の半分は彼女の生い立ちに費やされる。どのような両親から生まれ、どの街で育ち、どんな学生時代を過ごし、どのような経験をしてきたか。彼女の人生が語られる。参審員としてカタリーナは、妻に対する傷害罪に問われた男の裁判を担当することになる。証人として出廷した妻の証言を聞き、カタリーナは彼女を自分と重ね合わせ、思わず我を忘れてしまう。短い物語の中で、カタリーナの人生と、被害者あり加害者の妻でもある証人の人生がシンクロする構成はうまいと思う。

それぞれの物語に登場するひとりひとりの主人公たちに、読者はときに同情し、ときに共感し、ときに嫌悪し憎悪するだろう。そして、本書全体を通じて、突き刺さってくるような人間の存在感を感じることだろう。

2月に『東京創元社新刊ラインナップ発表会2019』に参加した際に、ゲストスピーカーとして登壇された訳者の酒寄進一さんが、本書の刊行について話された中で、シーラッハ氏が小説を書くきっかけとなった友人の話があった。その友人とのエピソードをベースとして書かれたのが本書のラストに収録された「友人」である。

子どもの頃に一番仲のよかった親友は、あるとき突然連絡がとれなくなり消息不明になった。長い時を経て再会したとき、親友はむかしの面影をなくし、苦しみの中にいた。私は、親友から多くの話を聞いた。彼が辛く苦しい日々を送ってきたことを知った。私と親友は、再び別れの時を迎える。そして、私は書くことをはじめた。「親友」にはそう記されている。

フェルディナント・フォン・シーラッハにとっては、『小説を書く』ということが自らに課した『刑罰』なのだろうか。シーラッハ氏が弁護士として関わってきた犯罪者、犯罪被害者、同業の関係者、家族、友人、その他の人々の物語を小説という形で、自分の胸のうちから表に出していくことが作家にとっての『刑罰』だったということなのだろうと感じた。