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【書評】古川日出男訳「平家物語」(河出書房新社)-『驕る平家は久しからず』と後世にまで語り継がれる平家の栄枯盛衰を壮大に描き出す軍記物語

平家物語 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09)
 

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

この有名な「平家物語」冒頭の一文(巻第一「祇園精舎」)を今でも暗誦できるという人はどのくらいいるのだろうか。

最近はどうなのかわからないが、私が中学生、高校生だった頃(今から30年くらい前)には、古文の授業で「平家物語」の冒頭部分を暗記させられた。というか、あの頃の古文の授業ではたいていの作品に関して冒頭部分を暗記させるという風潮があったような気がする。「枕草子」然り、「徒然草」然り、「方丈記」然り、「奥の細道」然り。

 

さて、この有名な「平家物語」の冒頭部分を古川日出男はどう現代語訳したのか。こんな感じだ。

祇園精舎の鐘の音を聞いてごらんなさい。ほら、お釈迦様が尊い教えを説かれた遠い昔の天竺のお寺の、その鐘の音を耳にしたのだと想ってごらんなさい。
諸行無常、あらゆる存在は形をとどめないのだよと告げる響きがございますから。

これで、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』にあたる。この調子で、古川日出男の「平家物語」は幕を開け、全12巻の壮大なストーリーが語り尽くされていくのである。

実は、「平家物語」がこれほど長大でバラエティにとんだエンターテインメント作品であるとは、本書を読むまで知らなかった。私にとって「平家物語」は、冒頭にも記したように学校の古文の授業で“ムリヤリ”に暗記させられる小難しい文学であり、文学は好きだけど古文は苦手な人間にはハードルが高くて気軽に手にとるような作品ではなかった。現代語訳もたくさん出版されているが、それらを手にとることもなかったのは、やはり学校での記憶による拒否反応だったのかもしれない。

それが、古川日出男訳「平家物語」で大きく印象が変わった。実際に読んでみると、絶大な権力を握った平家一族の傍若無人な驕りっぷりは読者を不快にさせるパワーを持ち、驕れる平家を叩き潰さんと攻勢をかける源氏との攻防戦は迫力の一言。あの有名な一の谷での義経軍のひよどり越えに、屋島那須与一が海に浮かぶ船上の扇を射抜く場面、壇ノ浦の合戦の場面では、幼い安徳天皇が入水し命果てる場面が胸に迫る。

合戦場面の迫力ばかりが「平家物語」の魅力ではない。まだ前半部分、驕り高ぶる平家の傍若無人な振る舞いの数々の描き方もエンタメ小説としての魅力に溢れている。とにかく、全編を通じて飽きさせるところがない。全12巻、900ページ近い長大なストーリーは間延びするところがなく、様々な事件がテンポよく次々と巻き起こる展開で読み飛ばすという行為をさせてくれない。ボリュームは満点なので読むのに時間はかかるのだが、読み終わった後には充実感が残るのだ。

平家物語」に限らず古典文学が長く現代に至るまで読み継がれてくる理由がはじめてわかったような気がした。