地下鉄六本木駅を降りて、地下通路から長いエスカレーターをあがると六本木ヒルズを象徴する巨大な森タワーがそびえ立ちます。
その森タワーの正面玄関前にひときわ目をひくのは、巨大なクモのオブジェではないでしょうか。この印象的なクモのオブジェの作者が、本書「ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家」に描かれるルイーズ・ブルジョワです。
1911年に生まれ、2010年に98歳で亡くなったルイーズの生涯は、おかあさんの影響を色濃く受けています。彼女のおかあさんは、タペストリーを織る仕事をしていました。羊毛の糸を紡いで美しい作品に仕上げていく。古くなった織物を修復して元のきれいな状態に戻してあげる。ときに、明るい陽の光の下で、ルイーズのおかあさんは織物を作っていました。
成長したルイーズは、少しずつあかあさんの仕事を手伝い、タペストリーを修復するときの下絵を描くようになります。
なにかを少しずつ描いていくのは
クモがすこしずつ巣を張っていくのに似ています。
ルイーズが、クモを作品のモチーフとするようになったのは、おかあさんと一緒に経験した織物の仕事とおかあさんに対する愛情があったからです。
ルイーズにとって、おかあさんは『親』であるとともにだいすきな『親友』でもありました。おかあさんとルイーズは深い愛で結ばれていたのだと思います。
ルイーズがパリに出て大学にかよっていたときに、おかあさんは亡くなってしまいます。そのことをきっかけに、彼女はそれまで勉強していた数学をやめて、美術を学び始めます。そして、大好きだったおかあさんをイメージして、巨大なクモの彫刻を作るようになります。彼女は、巨大なクモの彫刻に『ママン(おかあさん)』と名付けるのです。ルイーズにとって、クモはおかあさんを象徴するものだったのです。
もうずいぶんむかしですが、はじめて六本木ヒルズに行って、あの巨大なクモのオブジェをみたときは正直言って驚きました。もっと本音でいえば、「なんか気持ち悪いな」と思ったことも事実です。新しい文化の発祥地として作られた六本木ヒルズに『クモ』のオブジェは不似合いなように思いました。いまは、もう数え切れないくらい何回も目にしてきたので、オブジェの存在を意識することもなくなりましたが。
今回、『はじめての海外文学vol.4』の推薦作品として、訳者の河野万里子さんが本書をあげていたことから、本書を手にとってみました。そして、クモのオブジェ『ママン』の作者であるルイーズ・ブルジョワが、あの作品に込めた思いを知りました。
六本木ヒルズを訪れた多くの人は、はじめて『ママン』をみたときの私のように、「気持ち悪い」とか「ヒルズにクモは似合わないよね」と思ったかもしれません。これからはじめて訪れる人もそう感じる方が大半かもしれません。
だけど、ルイーズ・ブルジョワの思いを知ってから『ママン』をみたら、違う印象をもつでしょう。その造形も、細部に施されたデザインの意味も、そしてなぜ『クモ』なのかということも、すべてに意味があることなのです。
次に六本木ヒルズを訪れる機会があったら、もっとじっくりと『ママン』をみてきたいと思っています。