タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

人間を大きく成長させるのは、強力なライバルの存在なのかもしれない-澤田瞳子「若冲」

私には、絵心もなければ美術史にも疎いので、伊藤若冲なる絵師についての知識はまったくない。今年は、若冲の生誕三百年として、若冲と同い年の与謝蕪村と合わせた展覧会も開催されていたそうだが、それもレビューを書くためにネットを検索していて知った。

若冲

若冲

 
若冲 (文春e-book)

若冲 (文春e-book)

 

澤田瞳子若冲」の主人公は、そのタイトルが示すように伊藤若冲である。史実として、生涯独身であったとされる若冲に、実は自死した妻があったという設定から、妻・お三輪を自殺に追いやってしまったことで一生消えることのない若冲の懊悩、若冲を姉・お三輪を自殺に追いやった男として生涯恨み続けることになる弁蔵、若冲を常にそばで見つめ支え続ける妹・お志乃、その他若冲を巡る様々な人々の物語が展開する連作短編集となっている。

京都錦高倉市馬の青物問屋・桝源の主である源左衛門は、商売を幸之助、新三郎の弟たちに任せきりで、自分は二階の間に引きこもって絵ばかり描いている。店の主でありながら家業には目も向けず道楽に耽る長兄を、家族は苦々しく思っているが、妹のお志乃だけは、源左衛門の胸の内を慮っていた。

源左衛門には、8年前に土蔵で首をくくって死んだお三輪という妻があった。お三輪は、桝源に嫁いだものの、絵ばかり描いて家業には無頓着な源左衛門と、夫を家業に向けさせられないことでお三輪を責め立てる義母や義弟たちとの板挟みとなって精神を病み、自ら命を絶ったのである。

妻の死から8年が過ぎ、源左衛門は桝源に関わるものを集め、自らは隠居し家督を譲ることを宣言する。その相手は、実弟の幸之助でも新三郎でもなく、亡き妻・お三輪の弟、つまり義弟の弁蔵だった。しかし、弁蔵はこれに激高する。弁蔵から見れば、源左衛門と桝源は姉を自殺に追いやった憎むべき相手だ。しかも、お三輪の死後も、ただただ引きこもって絵を描いてばかりいる源左衛門には、姉の死に対する反省も悔恨も感じられない。そんな源左衛門の申し出など、到底受け入れられるものではなかった。

こうして、若冲と弁蔵との対立は深まる。弁蔵は、若冲絵の贋作者・市川君圭として、若冲に強いプレッシャーを与える存在になるのである。

この稀代の絵師とその贋作者という関係は、実際にあった話であるらしい。事実、若冲の贋作とされる作品も存在する。ただ、市川君圭が現実に若冲の贋作者であったわけではなく、それは著者の創作である。ちなみに、市川君圭も実在の人物だが、当然ながら若冲との縁戚関係はない。

小説のあらすじばかりでずいぶんと文字数を使ってしまった。

若冲」が、読者の興味を引きつけるのは、作品はよく知られていても、その人物像に謎な部分がある伊藤若冲という絵師に実は結婚歴があり、かつ不幸な顛末によって妻に先立たれていたこと。そのトラウマが、若冲の独特な画風、作品に表れているのだという設定にあるのだと思う。

若冲という人物のミステリアスな部分に創作的な設定を加味することで、物語には広がりができ、ともすれば事実の羅列によって堅苦しくなりそうな歴史小説をエンターテインメント小説に昇華させている。

物語は、若冲が40歳で隠居してから84歳で没するまでの人生を、8つの短編でつなぐ。そこには、若冲が絵師として、そして人間として成長する姿が描かれているのである。今でこそ、40歳はまだまだ若い世代と見なされるが、当時はもはや人生の晩年に近い。そんな老境に差し掛かった人物の“成長”とは、やや違和感があるやもしれぬが、若冲は隠居後の第二の人生において、確実に成長していると、私は感じた。そこには、現代に生きる我々にとっても、激励であり教訓となるような生き方と、生きる上でのバイタリティがある。

歴史小説、時代小説を読むということは、昔日に生きた人々の生き方からの学びがある。歴史を正しく知ることが今を生きることの知恵となる。まさに“温故知新”ということなのだなと思うのである。