タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

キャシー・アッペルト&アリスン・マギー/吉井知代子訳「ホイッパーウィル川の伝説」(あすなろ書房)-突然、大好きなシルヴィを失ってしまったジュールズは、「あのときどうして・・・」と自分を責める。そんな彼女の前に現れたのは一匹の子ギツネだった。

「ホイッパーウィル川の伝説」を読もうと思ったのは、『本が好き!』で開催中の『2018春のやまねこ祭!』への参加が目的なのだが、その前にひとつきっかけとなったことがある。

それは、〈やまねこ翻訳クラブ〉の会員でもある翻訳者・中村久里子さんのツイートだった。このツイートに記されたリンク先「こころフォト~忘れない~」に掲載されていたのが、東日本大震災津波で亡くなった岩手県宮古市の女性の遺された息子さんが中学生になって書いた読書感想文だった。その課題図書が、本書「ホイッパーウィル川の伝説」なのである。

 

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「ホイッパーウィル川の伝説」のレビューを、私はこの少年より上手く書くことは絶対できない。テクニカルな意味では書けるかもしれない。しかし、彼の書いた感想文には、彼でなければ書くことのできない重く、辛く、そして悲しい経験がある。まるで、この物語が彼のために存在したかのように、彼があの日母親を失ってからの日々を慰めるようにこの本は彼の手に渡されたのだ。

「ホイッパーウィル川の伝説」は、シルヴィとジュールズのふたりの姉妹の物語だ。ある雪の朝、まだ学校へ行くスクールバスが来る前、ふたりは家の前で雪だるまを作って遊んでいる。パジャマの上からパーカーを着てミトンの手袋をはめたふたりは、せっせと雪だるまを作る。

ふたりには、パパと交わした大事な約束〈パパ憲法がある。

家から呼ぶ声が聞こえないほど遠くへ行ってはいけない。
野生動物に手を出してはいけない。
スクールバスに乗りおくれてはいけない。
なにがあっても、絶対に、奈落の淵に近づいてはいけない。

なかでも、奈落の淵へ近づくことを禁じた約束はいちばん大事な約束だ。だけど、ふたりはパパに内緒で奈落の淵に行ってる。もう何十回、何百回も。それは、願い石を奈落の淵から投げるため。そうすれば、願い石に書いた願いが叶うと信じているから。だから、その雪の朝もシルヴィは奈落の淵に向かって走っていった。足の速いシルヴィなら、スクールバスが来るまでにすぐ戻ってこれるはずだった。だけど、シルヴィは戻らなかった。

たったひとつ、自分が誤ったことで不幸なことが起きる。それは、その人にとって、悔やんでも悔やみきれない、一生重くのしかかってくることだ。雪の朝、シルヴィが奈落の淵から戻ってこなかったこと。あのとき、もっと強く引き止めておくべきだった。なぜ、シルヴィを行かせてしまったのだろう。ジュールズの心に深く傷は刻まれてしまう。「特別なともだち」のサムも彼女を立ち直らせることはできない。

シルヴィが奈落の淵で姿を消した頃、森のなかで子ギツネが生まれた。セナという名前のメスの子ギツネは〈ケネン〉だ。ケネンとは、魂とつながった存在。この世に生を受けたセナは、自らのケネンとしての役目に導かれるように、ジュールズと出会う。

「ホイッパーウィル川の伝説」は、絆の物語だ。シルヴィとジュールズ、パパとジュールズ、ママとシルヴィとジュールス、サムとエルク、エルクとジーク、エルクとピューマ、そしてジュールズとセナ。人と人、家族、親友の絆、人間と野生動物たちとの絆、生者と死者の絆。つながりは時に脆く、しっかりつかまえていないと離れていってしまう。だけど、たとえ切れた絆でもきっとまたいつかつながるときがくる。ときにそれは形を変えて。

冒頭で紹介した少年の感想文にも、少年と母との絆がはっきりと見える。あの日、母は津波によって少年の手から奪われ、母子の絆は失われてしまった。少年の喪失感はいかばかりであったろうか。時が経ち、成長して「ホイッパーウィル川の伝説」を読んだ少年は、母親との絆が永遠に失われてしまったのではないことに気づいたのだろう。少年の感想文のラストには、そのことがしっかりと記されている。

少年につながりの存在を教えてくれた「ホイッパーウィル川の伝説」。この悲しいけれど温かい物語を書いた著者と、そして少年や私たちに届けてくれた翻訳者に心からの感謝を伝えたい。