タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「新装版プラテーロとわたし」J.R.ヒメナス・著/伊藤武義、伊藤百合子・訳/長新太・絵(理論社)-嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことも、ささやかな日々のことも、いつもプラテーロがそばにいた。

 

 

プラテーロは、小さくて、ふんわりとした綿毛のロバ。あまりふんわりしているので、そのからだは、まるで綿ばかりでできていて、骨なんかないみたいだ。けれど、その瞳のきらめきは、かたい黒水晶のカブト虫のよう。

J.R.ヒメナス「プラテーロとわたし」は、詩人ヒメナスが26歳のころに記した散文詩。プラテーロという名前のロバに優しく語りかける形で、日々のささやかな出来事や、嬉しかったこと、楽しかったこと、寂しかったこと、悲しかったことを描いている。

巻末の解説によれば、ヒメナスは精神的な病により療養生活をおくっていたことがあるという。自信を失い、死への誘惑にかられ、敗北感に苛まれてたヒメナスを救ったのは、生まれ故郷モゲールの自然に溢れた風景であった。精神的な病から立ち直ったヒメナスが記したのが「プラテーロとわたし」だった。

138篇の散文詩には、モゲールに暮らす人々のことや、詩人の心のうちが、さまざまな形で表されている。たくさんの出来事やたくさんの想いをプラテーロは、ときに優しく、ときに意地悪く、かたわらで見守ってくれている。

夕暮れにあそぶ子どもたちの姿
松の木の下に寝そべって本を読む詩人と草をはむプラテーロ
季節が移ろい、葉をすっかり落とした並木の道

そこには、私たちが何気なく日々目にしているような当たり前の風景がある。詩人は、普段は意識しないような、ささやか景色の変化を感じ取り、その気持ちを優しくプラテーロに語って聞かせる。

プラテーロと詩人には、誰よりも深い絆が存在している。ふたりには、人間とロバという存在を超越した特別な友情が存在している。

散文詩に描かれるのは、嬉しいことや楽しいことばかりではない。嬉しいこと、楽しいことと同じくらい、むしろそれ以上に『死』が描かれている。若い娘の死、動物の死、亡き者たちへの祈り。『死』を描くことが、詩人にとっては、自らの苦悩との対峙であったのかもしれない。『死』を描くことが『生』を実感できることだったのかもしれない。そして、自らに押し寄せる『死』に対する恐怖や苦悩を和らげてくれるのが、プラテーロという『生』の存在だったのだろう。

読者は、138篇の散文詩の中に、きっと何かひとつ自分自身に重ねられる物語が見つけられると思う。自分の胸に刺さる、共感できる物語が見つけられると思う。そんな物語を見つけるために、繰り返し読みたい一冊だと思う。