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ビルギット・ヴァイエ/山口侑紀訳「マッド・ジャーマンズ ドイツ移民物語」(花伝社)-送り出した側の責任なのか、受け入れた側の責任なのか。結局翻弄されるのは個人だ。

 

マッドジャーマンズ  ドイツ移民物語

マッドジャーマンズ ドイツ移民物語

 

 

ビルギット・ヴァイエ「マッドジャーマンズ ドイツ移民物語」は、そのタイトルが示すようにドイツに移民してきた人たちの物語だ。

著者のビルギット・ヴァイエは、ミュンヘンに生まれウガンダケニアで幼少期を過ごした。

本書の冒頭は、著者自身のエピソードからはじまる。子どもの頃にウガンダの地へ降り立ったときに感じた不思議な感覚。そして、40年が経ってモザンビークを訪れたときに感じた懐かしさ。彼女にとってアフリカは、不思議な感覚とともに落ち着ける場所だった。

著者は、ひとりの女性と出会う。彼女は昔、東ドイツにいたことがあるという。東ドイツには、およそ2万人のモザンビーク人が住んでいたことがあり、彼らは安い賃金で嫌な仕事に従事させられていた。著者は、『マッドジャーマンズ』と自称する人々に話を聞き、その後も取材を続ける。そして、この物語が生まれた。

本書には3人のモザンビーク人が登場する。ジョゼ・アントニオ・ムガンデ、バジリオ・フェルナンド・マトラ、アナベラ・ムバンゼ・ライ。彼らは、ポルトガルから独立し社会主義国家となったモザンビークと、安い労働力を求めて社会主義国家との連携を進めていた東ドイツとの協約にもとづいて、東ドイツへ渡った。ドイツへ行けばきっと良いことがあるはずと信じていたのだろう。

ジョゼ、バジリオ、アナベラの人生は、それぞれに異なる。それは、彼ら個人としての人生であるとともに、著者が取材した多くの『マッドジャーマンズ』たちの人生の凝縮した姿でもある。

ジョゼのように、慣れない外国の地で働き、本を読んだり映画をみたりすることを楽しみとして頑張っていた青年がいる。

バジリオのように、陽気に遊び歩き、ドイツの女たちと遊び、仕事は適当にサボって気楽そうに生きる男もいる。

アナベラのように、つらい境遇から抜け出そうとドイツに渡り、いろいろなことと闘いながら自らの夢を掴み取った女性もいる。

彼らは、常に差別と偏見にさらされた。ドイツでは、黒人であることで様々な偏見や差別を受け、モザンビークでは、ドイツ帰りであることで羨望と嫉妬が入り混じった複雑な偏見にさらされた。黒人であることも、ドイツ帰りであることも、何もかも彼らの責任ではないのに。

彼らが働いて稼いだ給料からは、60%が天引きされてモザンビーク政府に送金されていたという。その金は、彼らが帰国したらもらえる『積立金』のはずだった。しかし、実際に帰国してみると送金した金は煙のように消えていて、モザンビーク政府も統一後のドイツ政府も一切対応してくれなかった。責任をとろうとしなかった。

「人手が足りないから安い労働力を外国から賄おう」という発想は、なんとも傲慢な発想だと改めて感じる。

外国人を受け入れて一緒に働いてもらおう、私たちの国で一緒に生活してもらおう。そう考えて、外国人が自分たちと同じように暮らせる場所を作ってあげられるのなら、それは良いことだと思う。

だが、外国人に働いてもらう、暮らしてもらうためには、受け入れる私たちの側にも責任があることを忘れてはいけないと思う。差別や偏見で彼らを見るようなことは絶対にあってはならない。