読み終わって、本書は『解体』と『再生』の物語なのだと感じた。
ジョゼ・ルイス・ペイショット「ガルヴェイアスの犬」は、ポルトガル発の物語だ。本書は、“ポルトガル圏で最も権威のある文学賞”である「オセアノス賞」を受賞した作品であり、著者のジョゼ・ルイス・ペイショットは現在のポルトガルで最も才能のある作家と評価されているという。
1984年1月のある日、“名もない物”がポルトガルの小さな村に落ちたときから、ガルヴェイアスの物語は始まる。七日七晩天地を引っくり返したような豪雨が続き、その混乱もやがて収まり、ガルヴェイアスはそれまでの日常を取り戻す。いや、取り戻したかのようにみえた。しかし、変化は静かに、でも確実に起きていた。犬たちだけがそれを知っていた。
硫黄の臭い。味の変わってしまったパン。それでもガルヴェイアスの人々の暮らしは続いていく。まるで、何事もなかったかのように続けられていく人々の営み。しかし、どこかに不穏さと違和感を残している。
物語は、“名もない物”がガルヴェイアスに落下した1984年1月とそれからおよそ9ヶ月後の1984年9月の二部で構成されている。そのおよそ9ヶ月の間にガルヴェイアスでは様々なことが起きる。
長い確執の先にある老兄弟の物語
壮絶で凄惨を極める女同士の争いの物語
着任してまだ日の浅い若い教師の物語
ギニアの地に残した現地妻と子どもたちを訪れる元軍人の物語
ガルヴェイアスの人々の営みは、平凡であり、過激であり、悲壮であり、ユーモラスである。だが、“名もない物”が落ちて七日七晩豪雨が降り続いてから、ガルヴェイアスには一滴の雨も降らなくなり、長く続く干ばつは人々の焦りを生む。平凡にみえる日常は、実はあの日一度破壊されていたのだ。人々の暮らすは、破壊されたガルヴェイアスという場所で続いていたのだ。
そう考えたとき、これは『解体』と『再生』の物語なのだと感じた。
そう考えてもう一度全体を読み返してみた。そこに『解体』と『再生』を示すものを探した。
1984年1月、“名もない物”がガルヴェイアスに落下したその日にひとりの老人が静かに命の火を消した。
1984年9月、トウモロコシの甘粥をふるまうミサが行われた長い一日の終わった夜に新しい命の火が生まれた。
老人の死、破壊されたガルヴェイアスで続けられた人々の営み、そして新しい命の誕生。それはまさにガルヴェイアスが『解体』され『再生』したことを示しているのではないか。
ひとつひとつのエピソードは、何気ない当たり前の出来事である。その何気ないエピソードの積み重ねを含んで、本書全体が壮大な命のストーリーとして描かれている。「ガルヴェイアスの犬」とは、そういう作品なのだと思う。