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沼田真佑「影裏」(文藝春秋)-第157回芥川賞受賞作。心を許した友、愛した人の記憶。何も見えていなかったことを知ったあの日の出来事

影裏 (文春e-book)

影裏 (文春e-book)

 
影裏 第157回芥川賞受賞

影裏 第157回芥川賞受賞

 

 

第157回芥川賞を受賞した沼田真佑「影裏」は、東北・岩手を舞台に東日本大震災前後の喪失を描いている。

主人公の「わたし」は、性同一性障害の恋人がいた過去があり、親会社からの異動で岩手にある今の会社に来た。そこで、日浅という同僚と知り合い友人となる。その日浅が、突然会社を辞めていき、いつしかその関係も疎遠となった頃に〈あの日〉が訪れる。どうにか生活に落ち着きが戻ってきた連休明けに、「わたし」は職場の西山さんから「日浅が震災で亡くなったらしい」と告げられる。「わたし」は、日浅の生死を確かめるために彼の実家を訪れ、そこで「わたし」には見せることのなかった日浅のもうひとつの顔を知ることになる。

 

東日本大震災を題材に、あの日の前後で変わっていく人間の姿や心情を描いた作品は数多く世に出ている。それこそ、ピンからキリまで種々雑多な作品が生み出され、消化されている。読み手に深く突き刺さるような作品もあるし、あまり印象を残さない作品もある。

個人的な印象で言えば、「影裏」という作品は『震災後文学』という印象をそれほど強く感じさせないと思った。物語のキーマンとなるのは、主人公の同僚であり釣り仲間として心を許したこともある友人の日浅だ。「わたし」から見た実体としてしての日浅は、釣り好きで人懐こい、どちらかといえばポジティブなタイプの人物である。突然会社を辞め、転職後に次第に付き合いが疎遠になっていくところも、現実の人間関係でありがちの展開である。そして東日本大震災の発生。疎遠になった友人の安否は、別の第三者から「わたし」に伝わり、「わたし」はそこで日浅という存在について実は何も知らないことに気づかされる。

どれほど心を許した友人であっても、その心の内までは知ることは少ないし、相手に知らせることも、相手から知らせられることもない。それが、普通の友人関係なのだと思っている。「わたし」と日浅の関係もそういうものだ。その関係性は、一見すると深い絆で結ばれているように思えるが、実際にはすぐに切れてしまうくらいに脆いものでしかない。

東日本大震災で日浅が死んだ。そのことが、「わたし」に彼の存在を気づかせ、彼の真実を知らせる。ある大きな出来事をきっかけにして、家族や恋人や友人の見えていなかった部分=裏側が見えてくることがある。それが、自分にとって相手への親愛や信頼を深めるものになるか、関係を断ち切るものになるかはわからない。だが、見えてしまった現実は嘘偽りなく真実であることは間違いない。

全編を通じて静謐に物語は流れていく。震災が起きたことも油断していると気づかないくらいにサラッと書かれている。文章が淡々と静謐であることが、小説としての深みにつながっていると評価することもできるだろう。文學界新人賞芥川賞を受賞した理由もそのあたりに起因しているところがある。ただ、あまりに静謐であるがゆえに読み手に訴えるところが不足している印象が否めない。『震災後文学』としての印象を強く感じさせないと書いたが、物語全体の印象も薄いという印象を受けた。