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【書評】エドワード・ケアリー「堆塵館~アイアマンガー三部作(1)」-まったく先の読めない壮大なアイアマンガー三部作の幕開けを飾る作品。物語のもつ力強さと読者を取り込むワクワク感を存分に味わえる

堆塵館 (アイアマンガー三部作1) (アイアマンガー三部作 1)

堆塵館 (アイアマンガー三部作1) (アイアマンガー三部作 1)

 
堆塵館 アイアマンガー三部作

堆塵館 アイアマンガー三部作

 

この小説を特定のジャンルにあてはめるのは難しいし、あまり意味のあることだとは思えない。

 

エドワード・ケアリーの作品を読むのは、実は本書が初めてである。もう少し「実は」な話をすると、エドワード・ケアリーのデビュー作である「望楼館追想」を刊行当初くらいのタイミングで購入していたのだが、積んだまま読まずに15年くらい過ぎてしまった。自分でも、いくらなんでも積み過ぎだと思うのだが、こればかりは仕方ない。

で、「堆塵館」をエドワード・ケアリー初体験本として読んだわけだが、読み始めてすぐに「これはスゴイぞ」と感じた。しかし、それで一気呵成に読み進められないのが集中力に欠ける浮気性な人間の常である。他の本に浮気したりしているうちに、時間が経過し、結局読み終わるまでに2ヶ月以上費やすこととなってしまった。

「堆塵館」は、エドワード・ケアリーが前作「アルヴァとイルヴァ」(2003年刊)から10年ぶりに発表した長編小説である。「アイアマンガー三部作」と銘打ったシリーズの第1巻にあたる本書は、イギリスのロンドン郊外フォーリッチンガム区にある「堆塵館」と呼ばれる建物が舞台となっている。堆塵館は、うずたかく積み上がったゴミの山の中にあり、館の主であるアイアマンガー家はゴミを扱うことで莫大な財を成した一族だ。

アイアマンガー家には、純血のアイアマンガーと混血のアイアマンガーがあり、「堆塵館」の主である純血アイアマンガーは館の地上で、混血のアイアマンガーたちは召使として館の地下で暮らしている。「堆塵館」は実に広大な館で、その構造については本書の表扉と裏扉に見取り図が掲載されている。余談だが、この見取り図は本書を読み進む上で頻繁に参照することになる。

アイアマンガー家の人びとは、自らの誕生の品と呼ばれるものを肌身離さず持ち歩いている。本書の主人公のひとりであるクロッド・アイアマンガーの誕生の品は浴槽の栓だし、物語の冒頭で騒ぎとなるロザマット伯母さんの誕生の品はドアの把手だ。誕生の品は、常に持ち歩かねばならず紛失すれば持ち主に災いをもたらすとされている。クロッドには、その誕生の品の声を聞くことができる特殊な能力がある(ただし、誕生の品は自分の名前しか言葉を発しない)。

本書のもう一人の主人公は、ルーシー・ペナントという少女だ。彼女は、混血のアイアマンガーとして堆塵館に連れてこられ召使として働くことになる。召使たちには名前がなく全員がアイアマンガーと呼ばれる。ルーシーは、そのことに反発して事あるごとに自分はルーシー・ペナントであると主張している。

クロッドとルーシー。本来は交じり合うことのない主従関係であるはずの2人が出会ったとき、「堆塵館」を巡る物語は大きく動き始めることになる。物語の前半では、クロッドは身体が弱く、特殊な能力があるがゆえに一族の中では浮いた存在として描かれる。一方のルーシーは、生意気な跳ねっ返りで自己主張の強い少女である。この性格的には真逆な2人が出会えば、物語が化学反応を起こすことは必然だろう。特に、クロッドは出会いによって大きく成長していく。前半の弱々しい彼が後半では頼もしい男性への変化していくのだ。そして、物語の中盤からラストにかけて堆塵館には嵐が吹き荒れることになる。この後半の展開はある種スリリングであり、ミステリアスでもあり、そしてクロッドとルーシーのラブロマンス的な要素もあって、読者を惹きつけるありとあらゆる仕掛けがこれでもかと盛り込まれている。

そして、後半の怒涛の盛り上がりをそのままに、アイアマンガー三部作第1巻の物語は終わりを告げ、続きは第2巻へと持ち越されるのだ。読者は思うだろう。「ここで終わるのか!」と。私も当然そう思った。なんと罪作りな終わり方だろう。クロッドは、ルーシーは、いったいどうなってしまったのか。すべては第2巻、そして第3巻へと持ち越されるのである。

早く続きが読みたい!でもまだ第2巻は刊行されていない!(翻訳は終わっているとのこと)東京創元社さんは、早く第2巻を刊行してください!

アルヴァとイルヴァ

アルヴァとイルヴァ

 
望楼館追想 (文春文庫)

望楼館追想 (文春文庫)