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【書評】窪美澄「晴天の迷いクジラ」(新潮社)-港に迷い込んだクジラが私たちに教えてくれること

晴天の迷いクジラ (新潮文庫)

晴天の迷いクジラ (新潮文庫)

 

生きていくことに疑問を感じたことはないだろうか?

窪美澄晴天の迷いクジラ」は、デビュー作「ふがいない僕は空を見た」に続く第2作にあたる。

 

登場人物は3人。

由人は病弱な兄と闊達な妹との間に生まれた次男で、子どもの頃から母親の愛情を感じたことがない。母は、病弱な兄だけを見ていて由人にはほとんど関心を持とうとしなかった。特に目的もなく東京に出てデザイン学校に入学した由人は、小さなデザイン事務所に就職し、学校で知り合ったミカと恋人関係になる。デザイン会社の経営状態は苦しく、由人は馬車馬のごとく働き続けるが、それが原因でミカとの関係は崩れていき、失恋のショックと激務による疲労からうつ病を発症し精神安定剤を服用するようになる。

デザイン事務所の社長である野乃花は、高校時代に恩師の勧めで地元の絵画教室に通い、そこで絵画教室の教師であった英則と関係して妊娠する。英則と結婚した野乃花だが、夫の選挙出馬によって、次第に家庭内での居場所を失っていき、育児ノイローゼから娘に虐待を加えるようになる。そして、義父の金庫から大金を持ち出すとひとり出奔して上京し、様々なアルバイトを転々としながらデザインを学んでいく。デザイナーとして身を立てられるようになった彼女は、同じ事務所の同僚とともに自らのデザイン事務所を立ち上げる。

野乃花の事務所は、好景気の頃には順風満帆だったが、次第に仕事が減り経営も厳しくなっていく。由人をはじめとするデザイナーにも無理な仕事をさせ、金策と営業に駆けずり回るがついには会社をたたむところまで追いつめられる。

荷物を片付けに事務所を訪れた由人は、そこで野乃花と鉢合わせする。彼女は練炭を手にしていた。自殺を直感した由人は、クジラを見に行こうと持ちかける。ふたりは、クジラを見に行く旅にでて、引きこもりの高校生正子と出会う。正子は、異常なまでに神経質な母親の呪縛に絡めとられた少女だった。正子の健康状態に異常な関心を示し、疑心暗鬼に陥る母は、正子の友人関係にまで干渉するようになる。友人の葬儀に出席することすら許そうとしない母に、正子は我慢の限界を超える。正子は、部屋に引きこもるようになり、食事も満足にとらないようになっていく。そして、ある日正子は家を飛び出し死ぬつもりで夜の街をさまよっているときに野乃花と由人に出会ったのである。こうして、この奇妙な取り合わせの3人は一緒にクジラを見に行くことになる。

3人とも孤独で、家庭に大きなトラウマを抱えている。実社会でも、3人は乗り越えられないような巨大な壁に当たって苦しんでいる。

彼らはみな等しく不器用だ。追い詰められて“死”を意識する中で、彼らの目の前に現れるのが、港町の湾内に迷い込んで瀕死の状態のクジラである。人生を悲観して、もはや生きる意味さえ見失ってしまった3人は、クジラを見に行った先で3人家族だと誤解され、ある老婆の家に世話になることになる。

彼らはクジラに何をみようとしていたのか。 周囲の誤解から、擬似家族を演じることになり、彼らは次第に“家族”というコミュニケーションの良さに気づいていく。絶望的な状況の中でも生きているクジラの姿から生きることの意味にも気づき始めているように思う。

晴天の迷いクジラ」は、単純に“死”を否定し“生”を賛美するだけの物語ではないように思う。むしろ、命はメインテーマにはなっていないのではないだろうか。本書が主題としているのは家族の存在であり、もっとも近しいはずの家族という関係性が有している複雑さと難しさなのではないだろうか。その主題の先で、ふとしたことをきっかけに崩壊する可能性のある人間の心と、生きることへの疑問、死へ向かう気持ち、それらすべてを俯瞰したような全体像が、本書には明確に描かれているような気がしてならない。