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【書評】ペーター・シュタム「誰もいないホテルで」(新潮社)-美しい文章(美しい翻訳)に癒やされる

小説にはいろいろなタイプがあって、プロットの妙で読者を引きつける作品もあれば、キャラクターの魅力や会話の面白さでページをグイグイと読み進めてしまう作品もある。
 
文章が美しい小説というのも、さまざまに存在する小説のタイプのひとつだと思う。書かれていることは、意外と普通の、私たちが日常的に体験しているような話でも、文章の美しさがまるで違った世界であるかのように魅せてくれることもある。海外文学の場合は、翻訳の妙というのもあるだろう。
誰もいないホテルで (新潮クレスト・ブックス)

誰もいないホテルで (新潮クレスト・ブックス)

 

ペーター・シュタム「誰もいないホテルで」は、表題作を含む10編の作品が収められた短編集である。翻訳は、日本翻訳大賞の創設メンバーでもある松永美穂さん。

 

収録されている短編は、いずれも物語としては落ち着いた、ややもすれば平凡な内容の話だ。表題作になっている「誰もいないホテルで」は、収録されている中では変化球になるかもしれない。学会を間近に控え、落ち着いた場所で論文を仕上げようと湯治場のホテルを訪れた“ぼく”は、そこでちょっと変わった女性と出会う。彼女は、このホテルのスタッフらしいのだが、食事の時間をたずねても、風呂の水が出なかったり部屋に電気が来ていないことに苦情を言っても、まるで取り合ってくれない。“ぼく”は、ホテルを変えてしまうことも考えたが、宿泊費も前払いしているので、しばらくこのまま滞在することにする。そして、彼女(アナ)に興味を惹かれていく。
 
短編「誰もいないホテル」は、「トワイライトゾーン」や「世にも奇妙な物語」のようなテイストの作品だ。短い作品だが、アナという不思議な女性の存在が実に印象的である。物語のオチは、使い古されたタイプと思えるが、そこをカバーするだけの魅力的な文章が美しい。
 
その他の作品も、ご近所の騒音に悩まされるちょっと倦怠気味の夫婦の話や、奥手な若い農夫が近所で開催されるロック・フェスティバルでひとりの女性と出会う話、入院する妻の身の回りの品をスーツケースに収める夫の話、といった、内容を聞いただけでは「何が面白いの?」と思ってしまうような作品になっている。だが、実際に読んでみると不思議と物語が胸に残る。それは、文章の美しさがそうさせるのではないだろうか。
 
文章として私が強く印象に残ったのは、ラストに収録されている「コニー・アイランド」だ。
 
「コニー・アイランド」は、たった3ページの短編。ひとりの男が浜辺の岩場でタバコを吸いながら、浜辺を行き交う人びとを見ているだけの話だ。おそらく、作中の時間は、1本のタバコを吸い終わるまでのわずか数分の出来事で、前半の半分がタバコに火をつけてから吸っているところの描写、後半が目の前の浜辺で起きていることの描写になっている。たったそれだけの話なのに印象に残るのは、やはり文章の力だ。冒頭のマッチを擦ってタバコに火をつけるまでの描写のディティールがなんとも魅力的なのだ。
 
紙マッチを一本ちぎり、マッチのケースを見ないでひっくり返す。親指が感触を覚えている。ケースの下端を確認し、マッチの頭を押さえて、摩擦面に当てる。さっと擦り、すぐに親指を戻して、発火したマッチの頭を空中に掲げる。もう一方の手で火を囲み、タバコの先端に持っていく。肺に入れずに、最初にちょっとだけ吸い込む。マッチの炎は空中を動くあいだに大きくなり、それからすぐに縮んで暗くなる。繊維の多い厚紙の部分に移ったのだ。それから風のなかで消える。
 
マッチを擦ってタバコに火をつけるだけの場面をこれだけの文章で表現する。この場面が印象深く感じられるのは、この短編が本書全体のラストの作品として収録されているからだと思う。もし、この作品が全体の冒頭に収録されていて、まず最初に読むのはこのタバコの場面だったら、もしかすると、その時点で続きを読むのをためらってしまったかもしれない。「コニー・アイランド」という作品に到達するまでの9作品の蓄積があって、この作品の印象が強められているのだとすれば、文章の力に加えて、構成の妙というのもあるのだろうと思う。