今年(2016年)は、夏目漱石没後100年にあたるそうだ。
「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」、「三四郎」、「こころ」、「明暗」といった傑作を残し、文豪と呼ばれる夏目漱石は、1916年(大正5年)12月9日に49歳で亡くなっている。没後100年ということで、今年はいろいろとイベント企画が行われたりするのかもしれない。
さて本書だ。
著者の夏目房之介は、夏目漱石の長男純一の息子であり、漱石の孫にあたる。ただ、漱石が亡くなったのが1916年で房之介氏が生まれたのが1950年なので、ふたりが直接顔を合わせたことはない。
(前略)
けれど僕は漱石に会ったこともない。長男だった父・純一が9歳のとき、漱石は他界している。僕はまだ生殖細胞にすらなっていない。
とは、著者の「漱石の孫」の冒頭にかかれた一文である。それゆえに、房之介氏にとって漱石は、祖父という存在よりも私たちと同じように「教科書でならう明治の文豪」という存在の方に近いようだ。
本書は、漱石の孫である著者が、漱石の作品を読み解説する書評集兼エッセイ集となっている。
血のつながった孫なんだから、一般読者であるわれわれとは違う視点で作品を読み解くのではないか。
読者は必然、そういう期待を抱くであろう。しかし、先述のとおりに房之介氏が生まれたのは漱石の死から34年後のこと。私たちだって、自分が生まれる以前に亡くなった先祖のことをどこか遠い存在として認識していることを思えば、房之介氏にとっても漱石は遠い存在である。なので、著者の漱石作品に対する感想は、大筋で私たち一般の読者と変わるところはない。
本書では、
第1章 ホトトギス時代(坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕)
第2章 朝日新聞入社時代(夢十夜、三四郎、それから、門)
第3章 修善寺の大患後(思い出す事など、行人、こころ)
第4章 晩年(私の個人主義、硝子戸の中、道草、明暗)
第5章 文学論、手紙、鏡子夫人(文学論、漱石書簡集、漱石の思い出)
の構成で、漱石の作品を読み解いていく。基本的には、初期作品から晩年の作品に向けて順番に作品を読み進めているのだが、このように漱石自身に起きたイベント事をキーにして分類してみると、漱石作品の作風の変化がわかりやすい。デビュー当初は軽妙なユーモアな作品だったものが、漱石の体調や精神状態の変化に応じて腺病質的な作品に変わっていく。そこに大きな病で死の淵をさまよう体験をして人が変わったように優しくなっていく。
私としては、第1章から第4章までの小説、エッセイなどを取り上げたところよりも、第5章の漱石周辺、特に鏡子夫人が夫である漱石について語った「漱石の思い出」に関する部分が印象深かった。
夏目漱石というと、胃弱で神経質なイメージがある。事実、家庭での漱石は神経症的な発作に襲われると家族に理不尽な暴力を振るうこともあったようで、「漱石の思い出」の文庫解説(漱石の長女筆子の娘である半藤末利子が書いている)には、筆子が、母である鏡子に暴力を振るう父漱石を死んでしまった方がいいと思っていたという記述があるそうだ。だが、修善寺の大患を経た後の漱石は、別人のように穏やかになったという。
人間誰しも、大きな病を受けて、死の淵をさまような経験をしたりすると、それまでの自分の生き方を振り返り、大いに反省したりして、その後の生き方を考えなおすのだろう。漱石も同じ経験をした。彼は作家であったから、その経験を経ることで作品にも変化が起こり、その結果として多様な作風の小説を世に送り出す事になった。改めて、そのことを知ることができた。
夏目漱石没後100年。これまで、教科書のレベルでしか漱石作品に触れてこなかった。改めて、そしてこの年になってみて、漱石の作品をキチンと読み返してみることも大切なことかもしれない。
追記:
ちなみに、漱石の命日である12月9日は、私の誕生日でもある。だからどうした、って話だが。