吸血鬼って、どういうイメージだろう?
永遠の命を有し、美女の生き血をすすり、太陽の光を嫌い、ニンニクの匂いが苦手で、殺すには銀の弾丸で心臓を撃ちぬく、あるいは心臓に金属の杭を打ち込む、etc。
こうした吸血鬼のイメージは、ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」や吸血鬼を題材にした映画などの影響で私たちに植え付けられたものだ。吸血鬼を扱った小説、映画は数えきれないほど存在していて、吸血鬼がモンスター界では押しも押されぬトップスターであることは間違いない。
カレン・ラッセル「レモン畑の吸血鬼」に収録されている表題作「レモン畑の吸血鬼」も、吸血鬼を主人公とした短編作品である。ただ、この作品に出てくる吸血鬼は、私たちのイメージする吸血鬼とはかなり違っている。
クライドは、イタリアでレモン畑を営んで暮らしている。収穫期になると、レモンを収穫してレモネードを作りホットドッグとともに観光客に振る舞ったりもする。
クライドは永遠の命を授かった吸血鬼だ。でも、誰もそのことには気づかない。誰かから見てクライドは、老人であるというだけのこと。
吸血鬼である彼が、どうしてイタリアの燦々と太陽が降り注ぐレモン畑で生きていけるのか。そこに、私たちが固定観念としてイメージしている吸血鬼像を逆手に取ったカレン・ラッセルの企みがある。クライドもかつてはイメージ通りの吸血鬼で、暗い場所を好み、血を飲んで生きてきた。あるとき彼はマグリブという女性に出会う。彼女も吸血鬼だった。しかし、彼女は昼間でも平気で行動していたし、血を呑んだりもしない。彼女との出会いがクライドの人生を大きく転換させることになる。ふたりは結婚し、自分たちの暮らす場所と血に代わって自分たちを恍惚とさせてくれるものを探し求める。そしてたどり着いたのがレモン畑だった。
吸血鬼なのに太陽の光を浴びて普通に暮らし、血の代わりにレモンを丸かじりにしてその果汁の酸味を味わう。このイメージを覆す発想がカレン・ラッセルという作家の持ち味なのだろう。
その他の収録作品は以下の通り。
お国のための糸繰り
日本を舞台にして、明治維新後の富国強兵時代における製紙工場の女工を扱った作品。といっても、「女工哀史」のような物語ではない。SF的でありファンタジー的でもある物語だ。
一九七九年、カモメ軍団、ストロング・ビーチを襲う
「1979年7月11日、カモメたちはアサータウンに舞い降りた」で始まる短編は、ナルという少年の物語として進んでいく。母親が職を失い、脱線してしまった彼の人生。ヴァネッサという少女への恋心、進学の悩み、お決まりのような話の中に見え隠れする違和感。本書の中ではどちらかというと素直な作品という印象だ。
証明
監察官が今夜やってくる。監察官に証明されなくてはいけない。でもいったい何を証明するのだろう。証明されることでなにが起こるのだろう。はっきり書かれているようで曖昧なところが、読者を煙に巻いている。
任期終わりの厩(うまや)
日の光を背にして少女が厩の馬房に戻ってくるところからはじまる。そこにいる馬は、第19代アメリカ合衆国大統領ラザフォード・バーチャード・ヘイズである。《ラザフォードの馬》なのではない、《馬がラザフォード》なのだ。ホラ、もう訳がわからなくなっている。
ダグバート・シャックルトンの南極観戦注意事項
南極観測ではなくて南極観戦というところに注意して欲しい。南極は何かと対戦しているのだ。そして、その対戦を観戦する人々に注意事項がある。
- ルール1:死と友情を育め
- ルール2:前乗りを心がけろ
- ルール3:大試合に出発する前に、観戦用チェックリストを作成しろ
- ルール4:「優勝クーラー」を持ち歩け
- ルール5:オキアミチームのチームカラーを身につけろ。ただし、防寒を忘れずに
- ルール6:ロシア人にはチップをはずめ
- ルール7:南極観戦は、分かち合いがすべてだ
- ルール8:フェアの精神を忘れずに。だけど後ろに気をつけろ!
- ルール9:死体を埋葬しなければならないときは、適切な容器に
- ルール10:船から落ちないように
- ルール11:希望を捨てるな
以上のルールを守って、Let's enjoy 南極観戦!
帰還兵
マッサージ師のベヴァリーは、帰還兵のデレク軍曹の施術を担当する。彼女は、彼のタトゥーに気づき、そして魅せられる。ふたりは恋人となり、それは幸せを呼ぶはずだった。でも、彼は帰還兵として拭い切れないトラウマを抱え、不安定な精神状態を晒す。ベヴァリーはその苦しみを取り除こうとするが…。アメリカが抱える帰還兵の問題をテーマとして、そこに魔術的な要素をちょっと加えて、魂の救いの物語を築こうという試みとして読んだ。
エリック・ミューティスの墓なし人形
※図書館への返却期限がきてしまって、ラストの本作品は読みきれませんでした。なのでレビューはありません。申し訳ございません。
ざっとあらすじをたどってみても、単純ではない不可思議世界が展開していることは、容易に想像してもらえるのではないだろうか。翻訳が、作家の松田青子さんであるところも、彼女の著作(「スタッキング可能」、「英子の森」)の世界観や独特な描写などがカレン・ラッセルの世界観とも通じているように思えて、共通の世界観を有する作家同士のシンクロした結果が、本書の翻訳にもあらわれているように感じる。というと大げさだろうか。
カレン・ラッセルの短編集は、前作「狼少女たちの聖ルーシー寮」(訳:松田青子)を未読のままだ。また読むべき本が積み上がってしまって、もう生きている間に読み切れないほどである。
私がカレン・ラッセルという作家を知るきっかけは、2年くらい前に開催されたイベントで訳者の松田青子さん本人が好きな作家として紹介していたことにある。そのときに、松田さんが「狼少女たちの聖ルーシー寮」を翻訳中という話だった。にも関わらず「狼少女たち」は今だに未読で、先に第2短編集を読んでいるという自分の適当ぶりに、今更ながら呆れ果てる今日この頃である。