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【書評】トレヴェニアン「パールストリートのクレイジー女たち」(ホーム社)−トレヴェニアンの遺作にして自伝的小説

年末の恒例となった「このミステリーがすごい!」がスタートしたのは1988年で、その第1回めの海外ミステリー第1位になったのが、トレヴェニアン「夢果つる街」だった。それから約30年、トレヴェニアンの遺作となった自伝的小説が本書「パールストリートのクレイジー女たち」である。

パールストリートのクレイジー女たち

パールストリートのクレイジー女たち

 

 

物語は、アメリカが第二次大戦に参戦する前後、1930年代後半から40年代なかばを時代背景として、本書の語り部である僕(リューク)と母親、そして3歳年下の妹アン=マリーの3人が、ノースパールストリートというところで貧しさを抱えながら生きていくというストーリー。リュークが、著者であるトレヴェニアン自身を投影する登場人物となるのだろう。

ルビーの夫、すなわちリュークの父は、ルビーがリュークをみごもったと知る前に家を出て行ってしまっていたが、ある日その父親から手紙が届く。そこには、3人にノースパームストリートに来るようにと書かれていた。だから彼らは、こんな街にやってきたのだ。しかし、そこには父親の姿はなく、結局は母子3人での生活が続くことになる。

リュークの母ルビーは、女手一つで2人の子どもを育てている。「爪が火を灯す」ような生活(ルビーはそう表現する)でわずかな収入の中から、子どもたちを食べさせ、学ばせている。それにこたえるように、リュークは聡明さを身につけ、高いIQを有する。アン=マリーは、シャーリー・テンプルに憧れ、ダンスを学ぶ。

トレヴェニアンというと、このミスで1位になった「夢果つる街」や、クリント・イーストウッドによって映画化された「アイガー・サンクション」、日本的観念を体得した暗殺者を描いた「シブミ」など、ミステリーやサスペンスの作家として認知されている。だが、本書はミステリーでもサスペンスでもない。本書は、ひとりの少年の成長と彼の家族の物語であり、そこで起きる出来事は基本的には平凡で誰にでも起こりうる話だ。

これまでケレン味にあふれたサスペンスフルな小説を書き続けてきたトレヴェニアンが、なぜこの物語を描こうと思ったのか。はっきりとした理由はわからない、ただ、憶測で語ることが許されるならば、本書が著者の遺作であるということが、その理由なのではないか。

トレヴェニアン(本名ロドニー・ウィリアム・ウィテカー)が亡くなったのは、2005年であり、本書「パールストリートのクレイジー女たち」は、彼の死の翌年2006年に出版されている。トレヴェニアンは、自らの人生の最後に、おそらく彼のその後の人生を決定づけたであろう子どもの頃の物語を書き記しておきたかったのではないだろうか。

それともうひとつ、トレヴェニアンが生前は正体を明らかにしない覆面作家として活動していたことにも着目したい。

自分自身を謎めいた作家として認識していたトレヴェニアンは、最後の最後で自らの出自を題材に物語を構築することで、彼の真実を知りたいと考える読者の好奇心にこたえてくれたのではないだろうか。

いずれにしても、著者が亡くなっている以上、すべては憶測でしかない。

【追記】
本書は、第2回日本翻訳大賞の最終選考候補5作の中の1作に選ばれた。翻訳は、作家の江國香織である。なお、第2回日本翻訳大賞は、2016年4月10日に選考会を行われ、残念ながら本書は受賞を逃したことを追記しておく。

 

夢果つる街 (角川文庫)

夢果つる街 (角川文庫)

 
シブミ〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

シブミ〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

 
シブミ〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

シブミ〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)