私が子供のころ、ヒーローというのは勧善懲悪で、悪の組織が繰り出す怪人とか、宇宙から飛来するエイリアンとか、およそ人間にとって敵となる相手に対しては、同情の余地なく完膚なきまでに叩き潰したものです。
ですが、どうも最近のヒーローは悩むものらしい。
なにを悩んでいるのか。
まず、自分が人類の善を背負った正義のヒーローであるということに悩む。
なぜ自分が選ばれたのか悶々として苦しむ。
悪の組織と闘うことに疑問を感じる。
敵を倒す(殺す)ということの是非に悩み、倒したあとは殺人のトラウマに苦しむ
人間らしいといえば人間らしいのだけれど、こんなネガティブな感情をお茶の間にぶつけられても楽しくなさそうだ。ま、世のお母さんたちは、イケメンヒーローが苦悶の表情であがきまわる姿に萌えキュンしちゃってるのかもしれないけど。
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
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これからの「正義」の話をしよう ──いまを生き延びるための哲学 ハヤカワ・ノンフィクション文庫
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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
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マイケル・サンデル「これからの『正義』の話をしよう」は、正義に苦悩する現代のヒーローについて語った本、というわけではい。本書は、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授による政治哲学授業の記録だ。講義名は「“Justis”=正義」である。
授業の中で、サンデル教授は生徒に問題を提起する。
ブレーキの効かなくなった列車が走っている。このまま走れば前方にいる5人の作業員が犠牲になる。しかし、引き込み線に列車を侵入されることができれば、犠牲者は1人で済む。あなたは、5人を選ぶか1人を選ぶか。
この場合、多くの人は「1人を殺す」ことを選択する。1人でも殺さずに済めばよいのだが、5人か1人かいずれかを絶対に選択しなければならないという状況なら1人を犠牲にする方を選ぶのは真理であろう。
続いてサンデル教授は問う。
では、あなたは線路にかかる橋の上にいるとしよう。隣に立っている太った男を橋から突き落として犠牲にすれば5人の命を救えるとしたら、あなたはその男を橋から突き落とせるか。
つまり、自らの手でひとりの人間を殺して、5人の命を救えるのか、という選択である。
これは、非常に悩ましい問題である。確かに、その男を犠牲にすれば5人の命が助かる。1人と5人。数の優位性という意味では圧倒的に1人を犠牲するのが正しい。だが、その正義を実行するには、自らが《殺人》という悪を演じなければならない。犠牲になった男にだって、家族もあるだろうし、まだ若いのであれば輝かしい未来が待っているかもしれない。それをすべて自分が奪ってしまうことに対する逡巡があり、意を決して実行に移したあと、殺人を犯したことに対するトラウマが生涯つきまとうに違いない。
テレビの画面で苦悩する正義のヒーローたちが抱えるジレンマとはそういうことだ。いや、ちょっと違うか?
このような正義に関わる問題について、どのような考え方があるのか、どのような論理が成り立つのかをサンデル教授の主導によって参加者たちは思考する。
現代に生きる私たちは、先人たちの過去の行為について謝罪し、補償する必要はあるのか。という命題がある。
ナチスのホロコーストについて現代ドイツ人に謝罪義務はあるのか?
アメリカ先住民や黒人に対する様々な差別、弾圧、殺戮を現代アメリカ人(主に白人)は謝罪し賠償する義務があるのか?
サンデル教授が来日して東大で授業を行った際、この主旨で次のような問題が取り上げられた。
太平洋戦争でアメリカ軍が広島、長崎に原爆を投下したことについて、オバマ大統領は謝罪すべきか?
議論は、「謝罪すべき」というチームと「謝罪は不要」というチームで白熱した。
サンデル教授の授業は哲学の授業なので、明確な答えを出すことが目的ではない。明確な答えがない中で、ある意見を有する者と別の意見を有する者が相互に意見をぶつけあって討議するプロセスが重要なのだ。
なるほど、苦悩する正義のヒーローに不足しているのは、そのポイントなのではないか。
彼はいつもひとりで悩んでいる。改造人間という特殊事情を抱えている彼らは、それゆえにごく限られた相手としか本音で話すことができない。ほとんど、誰に相談することができずに、ただただ悶々と悩みを募らせていく一方なのである。
「俺が正義のヒーローで本当にいいのか?」
「なぜ、俺は戦わなければならないのか?」
「相手は悪人だ。それはわかっている。でも、俺はこの手で殺人を犯してしまったのだ!」
彼らの抱える苦悩は、ひとりで抱え込むには重すぎるのだ。
苦悩する正義のヒーローたちよ、ひとりで悩むな。誰でもいい、相談できる相手を見つけるんだ。
でも、悩みの内容が重すぎて、相談された方も困っちゃいそうだけどね。