タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

【震災5周年祈念】私たちは、福島の未来を、日本の未来を、永遠に考え続けなければならない-森達也、毎日小学生新聞編「僕のお父さんは東電の社員です~小中学生たちの白熱議論!3.11と働くことの意味」(現代書館)

震災関連本レビュー企画の3日目です。今回は、福島原発事故に関する本を取り上げます。

「僕のお父さんは東電の社員です」

「僕のお父さんは東電の社員です」

 

 

 

東日本大震災が、過去の震災、たとえば阪神淡路大震災などと違うのは、沿岸部を襲った巨大な津波もありますが、福島原発事故の発生も大きいと思います。

福島県双葉郡大熊町双葉町にある東京電力福島第一原子力発電所はあの日、巨大な津波に襲われ、その圧倒的な破壊力により運転を停止します。原子炉を冷却するための電源設備が破壊され、核燃料棒の冷却機能が失われた原発炉心溶融メルトダウン)が発生し、建屋は水素爆発で吹き飛びます。それは、チェルノブイリ事故を凌ぐ重大な原子力事故でした。

問題はそこでは終わりません。

福島原発事故は、事後対応の杜撰さによって拡大していきます。管理者である東京電力東電)も、監督機関である行政も、そして危機管理の先頭に立つべき政府も、過去に経験したことのない原発事故の対応には不慣れだったのです。

事故処理に右往左往する彼らの様子をみて、国民の不信感は爆発します。

なかでも、事故発生直後から事業者として責任の矢面に立たされてきた東電に対して批判が集中します。誰もが、東電の管理体制や対応に不満を感じ、これまで原発事故に対する適切な準備や想定を行ってこなかったことを責め立てました。その矛先は、会長、社長、取締役といった経営陣は当然のこと、末端社員に至るまで、東電に勤務しているというだけで攻撃対象になったのです。あの当時、東電の関係者で称賛されていたのは、福島第一原発の現場で事故終息に向けて命を顧みずに対応していた作業員(世界から“フクシマ50”と称賛された)だけだったかもしれません。

日本中が東電を悪者にして、事故の責任を押し付けていた頃、毎日小学生新聞に1通の手紙が届きます。

僕のお父さんは東電の社員です」と書かれたその手紙は、小学6年生のゆうだい君(仮名)が書いたものでした。ゆうだい君は、その前日に掲載された記事を読んで、解説委員を筆頭に日本中が東電とそこに働くすべての社員を悪者とみなしていると感じ、そのことに異議を唱えたのです。

なぜ東電ばかりを悪者扱いするのか?
そもそも、電気をふんだんに使う便利な生活を求めたのは国民すべてではないのか?
ならば、今回の事故は国民全体で責任を負うべきではないか?

ゆうだい君の手紙をきっかけに、日本中でこの問題に対する論争が繰り広げられました。小学生、中学生、高校生、大学生そして大人たちが、ゆうだい君の意見に賛成/反対の声をあげ、徹底的に責任を追求すべきだという意見と、責任追及にとらわれず本質を見るべきという意見で対立します。起こったことを嘆くのではなく、将来を考えるべきだという意見もあります。寄せられた様々な意見は、どれもゆうだい君の意見を真剣に受け止め、自分なりの意見を懸命に考えた結果でした。

様々な意見は、どれも考えさせられるものばかりです。

小学生の意見からは、難しいことはよくわからないけれど、今起きている問題について、少しでも改善するために自分たちは何をしなければいけないのかと真剣に考えていることが伺われます。原発に代わる新しい発電方法に関する意見など、中には荒唐無稽で実現性に欠けるものもありますが、ひょっとしたらこの意見をくれた子供が将来研究者になって、それを実現してくれるかもしれないという未来への期待を感じさせてくれます。中学生、高校生と成長していくほどに、意見はより論理的になり、きちんとまとまっていきます。そして、大人たちからの手紙には、大人としての責任と子供たちに対する謝罪と反省と未来への希望がこめられているように思います。

本書を読んで感じるのは、今回の地震と事故が世間に与えたインパクトが本当に大きなものだったのだということです。

怒りの矛先をどこに向ければいいのかわからないことの不満
無能で無策な政治と行政に対する諦観

誰もが、事態を正しく認識できず、曖昧な情報と生半可な知識だけで批判と対立を繰り返し続けました。一部では、その対立が泥沼化したケースもありました。

原発を巡る問題は、福島事故発生から5年が経った今でも解決できない問題として残っています。事故の影響で避難生活を送っている福島の避難民は、まだ10万人もいるのです。

ですが、5年が過ぎてしまった今、事故の教訓は薄れつつあるように思います。各地で原発再稼働に向けた動きがあり、一部では運転が再開されたりしています。

今回本書を読んで、私たちは、本書に掲げられた様々な世代からの意見をどう受け止めればよいのだろうかと考えました。その答えは、残念ながらまだ私の中では見つかっていません。ただ言えるのは、震災から5年目の節目を迎えて、改めて自らの身の振りを顧みて、反省すべきところは反省し、次の未来に向けて自分ができることを考える続けなければならないということです。もしかしたら、永遠に答えはでないかもしれませんが、考えることはやめないようにしようと思います。