《断捨離》したことありますか?
今更、「《断捨離》ってなに?」みたいな方はいないだろうと決めつけてしまえるくらいに、この言葉はポピュラーになりましたね。なんでも、
「断」:入ってくる要らない物を断つ
「捨」:家にずっとある要らない物を捨てる
「離」:物への執着から離れる
ってことだそうです。単純な片付けの考え方というよりは、《断捨離》がもともとヨーガの行法なので、ちょっとばかしスピリチュアルな匂いがします。
私のように、部屋中に積ん読本の山ができ、それでも次々と本を買い求めてしまい、「片付けよう」と心に決めても、いざとなると「この本、いつか読むかもしれんし」とか言い出して一向に部屋が整理整頓されないような、物欲にまみれた下等市民には、《断捨離》は見果てぬ夢だったりします。
しかし、世の中には《断捨離》を極め、もう行くところまで行ってしまったという人もおられるようでして、本書「もたない男」の著者であるマンガ家・中崎タツヤは、究極の《断捨離スト》なのです。
まず、本書の表紙を開くと、とあるアパートの一室と思しき写真が目に入ります。押入れのふすまが閉じられた部屋には、なにやら四角いレンガかブロックのようなものがポツンと置かれているだけで、他には何もありません。
押入れのふすまを開けても、あるのはガス台から取り外されたコンロがひとつあるだけ。
そうです。この殺風景な部屋は、中崎タツヤの仕事部屋なのです。部屋にあるのは、マンガを書くための作業台と丸椅子、部屋を掃除するための掃除機だけ。吉幾三の唄じゃありませんが、テレビもないラジオもない、車も走っていません(部屋の中だからあたりまえ)。携帯電話もパソコンもありません。いったいどうやって外界とつながっているのでしょうか。
ただ、著者は自ら一念発起して物を究極まで捨てたという訳でもないようです。もともと、物に対する執着心がないのです。物欲は人並み、いや人一倍くらいにあって、新しいものはすぐに欲しくなって買ってしまうのですが、ある日ふと物が不要になり、そうなると何もかも全部捨ててしまうのです。それは、家具や電化製品、本やCDだけではありません。なんと、昔母親から届いた手紙とか、自分が描いたマンガの生原稿とかも、特にためらうこともなくアッサリと捨ててしまうのです。
読書家として「ムムム」と思ったのは、著者の本の読み方です。著者は、本を読み始めると、2~3ミリくらいの厚さ分読み進んだところで、読み終わった分は解体して捨ててしまいます。つまり、読み進んでいくほどに本は薄くなり、最後はすべてがゴミとなって捨てられるのです。しかも、その解体のプロセスを丁寧にマンガにして説明してくれています。
ここまで何ももたずに生活ができるのだということに驚きます。でも、著者にしてみれば、別に不思議でもない日常の風景です。
はっきりいって、本書から「《断捨離》のノウハウを得る」とか「もたない生活のメリット/デメリットを知る」といった“ハウツー本”的なバックを期待してはいけません。本書は、極限まで物をもたない生活をしている人の日常を、ただただ呆れつつ見守るだけの本なのです。いや、それ以上の要素はありませんから。