タカラ~ムの本棚

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蜘蛛の糸がみせたわずかな希望~あるいは御釈迦様の気紛れが生んだ悲劇-芥川龍之介「蜘蛛の糸」

その日は朝から天気もよく、春らしい陽気であった。といっても、ここは極楽なのだから、年がら年中うららかで春らしい陽気の場所であるのも当たり前である。

蜘蛛の糸

蜘蛛の糸

 

御釈迦様は、その日もいつもように蓮池の周りをブラブラと所在なく、退屈そうに散歩していた。極楽は実に平和な場所だ。平和すぎて何もすることがない。だから、御釈迦様も毎日退屈して、特に楽しくもないのだけれど、日がな一日蓮池の周りを散歩しては、時折蓮池の底の方に見える地獄の様子なぞを覗き見していた。

御釈迦様が覗いている先の地獄に、ひとりの男がいた。カンダタという男だ。本名はなにやら難しい漢字を使うらしいのだが、面倒くさいのでカタカナで書くことにする。

カンダタは、極悪人だ。殺人、放火、強盗と、およそ悪事の限りを尽くしてきた。だからこそ、こうして地獄におちて血の池でもがいているのである。

だが、ここで御釈迦様はあることを思い出した。そういえばこのカンダタ、たった一度だけ善いことをしたことがある。それは、林の中で道端を這う蜘蛛を、いつもなら無慈悲に踏み潰すところだが、そのときは何の気紛れか、「これも小さいが命だ。むやみに殺してしまうのはかわいそう」と助けたのだ。

殺人、放火、強盗と悪逆非道を尽くした男が、たかが蜘蛛一匹を助けただけで、何が善行なのかという疑問も感じないわけではないが、暇を持て余し気味の御釈迦様、そのときばかりは気まぐれを起こした。カンダタを地獄から救い出してやろうと思ったのである。これを「神の気紛れ」と言わずして、何と表現すればよいのか。いや、神ではなくて御釈迦様なんだけど。

御釈迦様は、近くにいた蜘蛛の糸を手に取ると、地獄の底に向けて下ろしていった。「蜘蛛を助けたカンダタを、蜘蛛の糸で助ける。う~ん、なんかこ洒落た感じ?」と、御釈迦様が思ったかどうかは定かでないが、こうして運命の蜘蛛の糸はカンダタ目指して下りていったのである。

さて、地獄のカンダタ。血の池に浮かび、もはや抵抗する力も泣き叫ぶ気力も残っていない廃人状態のカンダタ。そのカンダタがふと頭上を見ると、一本の蜘蛛の糸が自分を目指して下りてくるのが見えた。

カンダタは、頭の悪いバカだから、蜘蛛の糸を見た瞬間「ラッキー!」と思った。この糸を上っていけば地獄から抜けられるんじゃないか。細い細い蜘蛛の糸が、果たして大の男の体重を支えて耐えられるのか。そんな真っ当な疑問も、バカなカンダタには思い浮かばない。

「地獄に仏」とはまさにこのこと。そりゃそうだ。だってこの糸を垂らしているのは紛れもなく御釈迦様(仏)なのだ。カンダタは、蜘蛛の糸にしがみつき必死で上り始める。あんな細い糸にしがみついて上れるなんて、なかなかの身体能力だ。身の軽い大泥棒だからという理屈もあるだろうが、そういう理屈を超越した何かを感じざるを得ない。火事場のクソ力?ちょっと違うか?

はるか上空にある極楽を目指してカンダタは上る。24時間テレビのチャリティーマラソンなら、間違いなく「RUNNER」か「負けないで」が流れる場面だ。応援FAXも届いています。「南極の氷は白かった。白組がんばれ」。どうやら別の番組宛のFAXが混ざっていたようだ。

半分くらい上ったあたりで、カンダタは休憩する。下を覗いてみると、自分がさっきまでいた血の池はずいぶんと小さく見える。だが、カンダタの目にはそんな地獄の景色よりも大変な光景が見えていた。自分が上ってきた後を追いかけるように、他の罪人たちが蜘蛛の糸をよじ登っているのだ。

「やべえじゃん、あんなに上ってきたら切れちゃうじゃん」

カンダタがハマっ子かどうかはこの際どうでもよいのだが、ジャンジャンと上ってくる連中のせいで蜘蛛の糸が悲鳴をあげているように思える。カンダタは、このままではヤバいと吠えた。

「これは俺の糸だぞ!お前ら勝手に上ってくんな!」

そのとき、蜘蛛の糸がついに限界に達する。カンダタのぶら下がったちょっと上のあたりで、「ブチッ」と音を立てて切れたのだ。こうして、カンダタは、他の罪人とともに地獄の底へと真っ逆さまに堕ちてDESIRE。(地獄の業火で)炎のように燃えてDESIRE。となったのである。

おっとどっこい、そのとき、御釈迦様はどうしていたか。

御釈迦様は、蜘蛛の糸を地獄に垂らしたあと、釣り人があたりを待つように糸を指先に絡め、地獄の底でカンダタが釣れるのを待ち受けていた。カンダタが、見事にひっかかり蜘蛛の糸を上ってくる感触は、その指先で感じていた。いつしか、指先にかかる重みが尋常でなく重くなってきた。カンダタひとりの重さとは思えぬ。と、何やら下の方からわめく声が聞こえてきた。何を言っているのかはよく聞き取れないが、どうせ真っ当な話ではあるまい。御釈迦様は、糸を握り直すと、グイッと引いた。「プチン」という反動とともに、急に指先にかかる重みが消えた。と同時に、下の方から悲鳴のようなものが聞こえ、しばらく経ってから「バシャーン」と水を打つ音が聞こえてきた。

「やれやれ、ダメなやつはどうやってもダメだな」

御釈迦様は、大きく伸びをした。腹時計が「グー」っと時を告げた。どうやらそろそろお昼らしい。ちょうどいい時間つぶしにはなったわい、と御釈迦様はまたブラブラと歩き始めた。

御釈迦様の気紛れで、一度は地獄から脱出し極楽に行けることを夢見たカンダタが、その夢に破れて再び地獄に落ちた後どうなったのか。そんなことは御釈迦様の知ったことじゃない。

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