去る4月19日、紀伊國屋サザンシアターにおいて第1回日本翻訳大賞授賞式が行われた。
■日本翻訳大賞って何?
日本翻訳大賞とは、「翻訳」という仕事にスポットライトをあてようという趣旨で発足している。きっかけは、翻訳家であり作家である西崎憲さんのツイートだった。
ついでに言うと、翻訳賞はぜったい必要なように思う。翻訳小説や翻訳ノンフィクションの振興にもめちゃくちゃ貢献するはず。賞金5万円、式典は可能なかぎり小規模といった感じでいいので誰かやって欲しい。翻訳賞がないのはおかしいしまずい。
— 西崎憲 (@ken_nishizaki) 2014, 2月 26
このツイートに、賛同の声が次々とあがり、ゲームデザイナーでもある米光一成さんが焚き付けたことで話が動き始めるのである。
■クラウドファンディングによる資金集め
日本翻訳大賞は、発起人である西崎さんと火付け役である米光さん、さらに賞の趣旨に賛同して集まった著名な翻訳家の皆さん(柴田元幸さん、金原瑞人さん、岸本佐知子さん、松永美穂さん)たちによって、まったくの手弁当でスタートする。
その資金は、「クラウドファンディング」によって集められた。その出資総額は、目標の70万円を大きく上回る338万2500円となった。
■候補作を読者推薦で募る
日本翻訳大賞は、候補作品を一般読者からの推薦により募集した。募集要件は、
①2014年1月〜12月末までに発行された翻訳書
※ただし、復刊、再刊、選考委員の訳書を除く
②推薦は誰でも可。専用フォームから推薦コメントを添えて応募
だけである。
第一回日本翻訳大賞 推薦作品リスト | 日本翻訳大賞公式HP
読者からの推薦は、各人の推薦作品に対する想いがあふれるものであったようだ。4月19日に開催された授賞式の中で、選考委員のひとりである岸本佐知子さんが、
「推薦リストを見るのが楽しかった。推薦者のコメントがすごく熱くて、作品に対する愛とか熱意が伝わってきた」
とコメントしていたし、同じく選考委員の金原瑞人さんも、
「あの推薦リストを出版してもよいのではないか。どこかの出版社でやりませんか?」
とコメントされるなどしていた。
読者からの推薦を受けた作品の中から、17作品が二次選考候補として選出された。
第一回日本翻訳大賞 二次選考対象作品一覧 | 日本翻訳大賞公式HP
具体的な作品リストは、リンク先を確認して欲しいが、小説以外にも、「『資本論』の新しい読み方」や「詩集 牢屋の鼠」といった他ジャンルの作品も候補として選ばれている。また、英米言語圏以外の東欧やアジア圏の作品も選出されるなど、ジャンルや言語を問わない幅広い作品が候補として残ったことも、日本翻訳大賞の特徴だと思う。
さらに、17冊の候補作の中から、最終候補として5作品が選出され、最終選考へと舞台を移す。
第一回日本翻訳大賞最終選考候補作品 | 日本翻訳大賞公式HP
選考委員の厳正な審査の結果、大賞に2作品、読者賞に1作品が選出される。
■大賞作品
「エウロペアナ:二〇世紀史概説」パトリク・オウジェドニーク/阿部賢一、篠原琢訳(白水社)
「カステラ」パク・ミョンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳(クレイン)
■読者賞
「ストーナー」ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳(作品社)
当初、大賞1作品のみが選出されるはずであったのだが、「エウロペアナ」と「カステラ」は、いずれか一方のみに授賞するのはもったいないということで、2作同時授賞になったということだ。
また、「ストーナー」については、読者からの推薦が特に熱く寄せられたそうで、これも本来存在しなかった読者賞を急遽創設して授賞することを決めたそうである。
「ストーナー」がそれほどに読者の熱い推薦を集めたのは、この作品が、訳者・東江一紀さんの最期の仕事となったことも理由にあげられると思う。授賞式には、東江さんのお弟子さんにあたる布施由紀子さんが出席され、賞を受け取った。
布施さんは、受賞の挨拶で東江さんの翻訳に対する姿勢について話をされた。
「翻訳とは、原文を大切にし、原著の良さを読者に伝えること。それが、翻訳家の仕事である」
そういう姿勢で翻訳の仕事にのぞまれていた東江さんの遺作ともいえる「ストーナー」が、読者に愛され、読者賞を受けることになる。それは、東江さんにとって最高の栄誉であるに違いない。会場に集った参加者たちは、きっと全員がそう思っただろう。
■授賞式の様子
書きたいことが多すぎて、肝心の授賞式レポートまでが随分と長くなってしまった。
授賞式は、紀伊國屋新宿南口店7階にある紀伊國屋サザンシアターで行われた。会場は、ほぼ満席といってよかったと思う。
式は、ギター、ヴァイオリン、パーカッションによるセッションで幕を開けた。ギターは賞の発起人でもある西崎さんだ。司会進行は、焚き付け役となった米光さん。華々しい演出はないければ、有志による手作り感にあふれた式という好印象を受けた。
まず、日本翻訳大賞が創設されたきっかけや賞の趣旨、選考の経緯などが、米光さんの進行により、西崎さん、柴田さん、金原さん、岸本さん、松永さんによって解説される。大賞となった「エウロペアナ」、「カステラ」の解説は、岸本さんと松永さんにより行われた。
今回の大賞受賞作は、いずれも非英語圏の作品である。「エウロペアナ」はチェコ、「カステラ」は韓国の作品だ。選考委員は、ドイツ語翻訳の松永さん以外は全員が英米文学の翻訳家である。自分の守備範囲以外の作品に、これほど面白い作品が、これほどたくさん存在したことは、選考委員にとっても嬉しい発見だったという。
「カステラ」については、金原さんだけが候補に上る前に読んでいたそうだが、他の4人は今回候補になってはじめて読んだということだった。
■選考の苦労
選考委員が、作品の選考にあたって苦労されたのは、本賞が「翻訳」にスポットをあてているところだったようだ。単純に物語としての面白さを評価するのではなく、翻訳が適切なものであるかも重要な要素となる。そのため、原文と照らして訳文が適切であるかを、時にその言語を専門とする方の協力ももらいながら評価したそうだ。
■贈呈式と訳者による作品の朗読
選考委員による座談会を終え、いよいよ贈呈式となった、プレゼンターは金原さん。金原さんは、冒頭まずこう発言された。
「本来、こういう賞を贈呈する際には、「おめでとうございます」というのが普通です。でも、今日は「ありがとうございます」という言葉の方が適切だと思います」
私たち外国語を苦手とする者が、海外の作品を読むことができるのは、翻訳家の皆さんがその作品を日本語に翻訳してくれるからだ。そういう意味で、金原さんの言うように、「おめでとう」よりも「ありがとう」という言葉の方がふさわしいと思う。金原さんの発言には、ハッとすると同時に納得させられた。
贈呈式のあとは、大賞受賞作をそれぞれの訳者は朗読する。オープニングにつづいてギター、ヴァイオリンがスタンバイ。まず「エウロペアナ」を阿部さん、篠原さんが朗読した。
次に、「カステラ」を翻訳したヒョン・ジェフンさんが、作品を朗読する。ヒョンさんは、日本語訳の作品と同じパートを韓国語の原文でも朗読された。日本語で聞く作品と韓国語で聞く作品は、同じ世界を表現しているはずなのに、どこか違って聞こえた気がする。同じ場面でも、原文と訳文では印象も変わってくるということ。それが、翻訳の面白さでもあり、難しいところでもあるのだろう。
その後、柴田さんをモデレータとして、阿部さん、篠原さん、ヒョンさん、斎藤さんによる座談会形式で、作品についての想い、翻訳にあたっての苦労などが話された。どちらも、二人の訳者による共訳というスタイルをとっている。これについて、柴田さんが尋ねたのだが、それぞれ状況が異なっているのが面白かった。
「エウロペアナ」の阿部さんと篠原さんは、もともと互いに見知った仲であり、「エウロペアナ」の翻訳の話も自然にまとまったようだ。前半と後半で役割をきっちりと分けて、相互にチェックしながら翻訳を進めていったとのこと。
対して「カステラ」のヒョンさんと斎藤さんは、直接会ったのが授賞式の当日とのこと。それまでは、出版元であるクレインの文さんを介してやりとりしていたという。
翻訳のスタイルには、実に様々な形式があるものだと思った。
また、斎藤さんからは、4月19日という日付が韓国にとって大変に意味のある日付なのだということが語られた。1960年4月19日は、韓国四月革命で大規模な学生デモが発生し、200人近い学生が命を落としている。そんな4月19日は、1年前の2014年に「カステラ」が刊行され(奥付が4月19日)、今年その「カステラ」が日本翻訳大賞に選ばれて授賞式が行われた。4月19日という日に導かれるような「カステラ」の運命が実に意味深いもののように思われる。
■最後に
よくよく考えてみると、日本という国は読書家にとってすごく恵まれた国だな、と思う。なぜなら、様々な国の言葉で書かれた出版物が、多くの優秀な翻訳家によって日本語に訳され、街の本屋さんやネット書店で気軽に購入することができる。もちろん、図書館で借りることもできる。世界的に見ても、これだけ多種多彩な多言語からの翻訳出版が行われている国は、日本が世界筆頭なのではないだろうか。
そんな、翻訳家の仕事にスポットをあてるためにスタートした日本翻訳大賞は、こうして、第1回めの授賞式を、大成功、大盛況のうちに終わらせることができた。西崎さんのほんの些細なツイートをきっかけにして始まった活動は、多くの海外文学好きの共感を得たと思う。
クラウドファンディングによって集まった資金で、第4回までの開催は可能とのこと。授賞式終了後のツイッターでは、すでに第2回の開催を期待する声もあがっている。
授賞式終了後、会場を出てJR新宿駅に向かいながら、既存の文学賞にはない翻訳という仕事に対するリスペクトがあふれた日本翻訳大賞が、今後も長く続いて欲しいと思った。