タカラ~ムの本棚

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第5回Twitter文学賞国内編第1位獲得。古栗の時代が来たのか!? それとも...-木下古栗「金を払うから素手で殴らせてくれないか?」

木下古栗を読むのは、デビュー作「ポジティブシンキングの末裔」以来。今回、第5回Twitter文学賞で多くの支持を集めて国内編第1位に輝いたということで、買ったままに積ん読だった本書を手にとった次第。

金を払うから素手で殴らせてくれないか?

金を払うから素手で殴らせてくれないか?

 
金を払うから素手で殴らせてくれないか?

金を払うから素手で殴らせてくれないか?

 

収録されているのは、表題作を含む3つの短編。

 ・IT業界 心の闇
 ・Tシャツ
 ・金を払うから素手で殴らせてくれないか

古栗作品の特徴は、このタイトルの秀逸さと、それが本編の内容にほぼ関係しないところにある。いや、もちろんまったくリンクしていない訳ではない。微妙に関連しているんだけど、あまりそこに意味を持とうとしていないのである。

ただ、タイトルのインパクトは強い。

1編目に収録されている「IT業界 心の闇」というタイトル。本書を手に持ち、パッとページを開いたらこのタイトルが目に飛び込んできた。
私は、IT業界に身をおいている。ストレスフルな仕事で不眠症を患ったこともある(現在でも就寝時には睡眠薬が必須だし、薬を使っても眠れないときがある)。まさに、“闇”の業界にいるのだ。そんな私に、このタイトルは結構なインパクトだったし、内容も落ち着いて読めば、あまりIT業界を描いているとも言い難いのだけれど、なぜか読んでいる胸の内では「あぁ、こんなことが実際にも起きてるかもなぁ」とか思ってしまう。

タイトルと内容のつながりの薄さで言えば、2編目に収録されている「Tシャツ」がダントツだろう。
ある事情でアメリカに帰国したハワードが再び日本の地を訪れる。だが、彼も数ある登場人物の中のひとりに過ぎない。本作で一番存在感を示すのは“まち子”だ。p.100からp.110まで、徐々に加速度を増していくまち子の話は、次第次第にエスカレートし、後半はまち子の波状攻撃が展開される。この小説を小説とは違う世界に向けて畳み掛けるように突っ走っていくところが、木下古栗の古栗らしさが発揮されるところだと思う。なお、この「怒涛のまち子」の、特に後半数ページは、電車やバスのような場所で読むのはオススメしない。なぜなら、こみ上げてくる笑いを抑えることができないからだ。声を出して笑ってしまっても顰蹙を買わないような場所で読んでほしい。

そして、表題作でもある「金を払うから素手で殴らせてくれないか?」だ。
本作は、仕事を投げ出して失踪してしまった“米原正和”の行方を、その同僚たちが探しまわる話である。
ただ、話はそんなに単純なわけがない。失踪した米原正和を捜すのは、米原正和なのだ。つまり、失踪した人物を失踪した本人が捜すのである。しかも、作中ではそのことに対して誰もツッコミを入れることはない。米原正和と共に米原正和を探しまわる後輩社員も、失踪した米原と今一緒に行動している米原が同一人物であるなどという観念は持ち合わせていない。作品構成上は、まったく同一の人物であるように描かれながらも登場人物たちは同一の人物とは扱わないのだ。読者の認識と作中人物たちの認識とが完全に乖離した世界に、読者は狂わされてしまう。

翻訳家の岸本佐知子さんが、本書の帯に寄せた紹介文

 中毒します。パースの狂った世界、未知の美に。

この言葉が、木下古栗という作家の描く作品世界を的確に表していることを、本書を読むことで実感できる。

本書は、というよりも木下古栗という作家の作品は、読み手によって大きく評価が別れるだろう。それも、曖昧な感じではなく、はっきりと「好き」か「嫌い」かに別れるように思う。私は、けっこうハマってしまった側なのだが、さて、他の読書家はどう評価するだろうか。いろいろと意見を聞いてみたくなる。

ポジティヴシンキングの末裔 (想像力の文学)

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