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自らの病に導かれた生命科学者による「死」への生物学的アプローチと「救い」への足掛かりが本書なのかもしれない-柳澤桂子「われわれはなぜ死ぬのか~死の生命科学」

「人はなぜ死ぬのですか?」
子供電話相談室の回答者も頭を抱えるこの命題。どうしても、哲学的であったり宗教論的な考えに行きついてしまう。だが、その観点で「死」を語っても、おそらく誰も理解できないだろうし、納得もできないだろう。

われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学

われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学

 
われわれはなぜ死ぬのか ――死の生命科学 (ちくま文庫)

われわれはなぜ死ぬのか ――死の生命科学 (ちくま文庫)

 

柳澤桂子「われわれはなぜ死ぬのか」は、生命科学者でありサイエンスライターである著者が、生物学の見地から「死」について記したものだ。

冒頭、ベトナム戦争時の捕虜処刑の瞬間を撮影した有名な写真(エディ・アダムス撮影「サイゴンでの処刑」と思われる)を引き合いにし、人間の死について語る。ここで著者は、射殺されるベトナム人の捕虜と彼を射殺する兵士についての印象を解説した後、死んでいった捕虜の遺体が、その後どのように変化していくかを具体的に解説していく。ここで、本書が人間の死、あるいはあらゆる生命の死を生物学的な客観性で解き明かしていくことを主題としたものであることが、読者に提示される。

本書では、生命を構成する要素(細胞、遺伝子など)と、人間をはじめとする様々な種について、時に比較しながら「死」に至るプロセスを述べていく。細胞が生まれ死んでいくプロセスであり、通常の細胞と生殖細胞との違いや正常な細胞サイクルを逸脱することで発生するがん細胞の存在など、「死」がどのようなメカニズムで訪れるのかが記される。

生物学という学術的な観点で解説される「死」は、宗教論的、哲学的に語られる観念的な「死」に比べて、悲壮感や恐怖心を感じない。客観的事実を淡々と積み重ねられると、感情的な印象よりは学問として受け取られるから、冷静に事実を見ることができる。

なぜ、著者は「死」を学術的に解説しようと考えたのだろう。そこには、著者を苦しめている病の存在が影響しているのだと思う。

著者は、30歳頃から現在まで、重い病をずっと患っている。はじめは病名も定かではなかった(その後、「周期性嘔吐症候群」という脳幹の病と判明する)。頭痛、めまい、腹痛、嘔吐などの症状が強く続くことがあるという。著者は、1938年生まれだから、現在77歳になる。30歳で発病してから40年以上も闘病生活を続ける中で、自らの死を強く意識したとしても不思議ではない。

生命科学者としての立場から自らの死を客観的に考えた時に生まれたのが本書なのではないだろうか。

著者は、その後「般若心経」による救いに行きつき、「般若心経」を解題する「生きて死ぬ智慧」を執筆する。「生きて死ぬ智慧」は、残念ながら未読であるが、「われわれはなぜ死ぬのか」という本書の命題に対して、生物学的なアプローチとは異なるものが見いだせる著書になっているのかもしれない。

生きて死ぬ智慧

生きて死ぬ智慧

 
愛蔵版DVD BOOK 生きて死ぬ智慧 (小学館DVDブック)

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