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底辺に生きる男と女。彼らが光を放つのはその場所だけなのだ−佐藤泰志「そこのみにて光輝く」

佐藤泰志そこのみにて光輝く」は、彼が遺した唯一の長編小説である。刊行されたのは、佐藤泰志が自ら命を断つ前年の1989年に発表され、第2回三島由紀夫賞の候補となった(この時の受賞は、大岡玲「黄昏のストーム・シーティング」)。

そこのみにて光輝く」は、2014年に呉美保監督、綾野剛主演で映画化され、高い評価を得た。ここでは、小説としての「そこのみにて光輝く」と映画として「そこのみにて光輝く」について書いていきたい。

1.小説「そこのみにて光輝く

そこのみにて光輝く (河出文庫)

そこのみにて光輝く (河出文庫)

 
そこのみにて光輝く (河出i文庫)
 

そこのみにて光輝く」の舞台は、著者である佐藤泰志の故郷でもある北海道函館市をモデルとした海辺の町である。労働争議でゴタゴタする会社に嫌気がさして退職した達夫は、しばらくは退職金でフラフラと過ごす日々を送っている。パチンコ屋で知り合った拓児に誘われて彼の家を訪れ、そこで拓児の姉・千夏と出会う。

千夏と拓児の家は、再開発によって高層マンションが建つ足元にあるバラックだ。寝たきりの父親と彼を介護する疲れきった母親。千夏は、夜の商売で家族を養い、拓児はテキ屋見習いのようなことをして暮らしている。

厭世的で世の中を達観しているような風情の達夫と、立ちはだかる高いビルの足元で薄暗く陰鬱な生活を続けている千夏と拓児。彼らは、互いに求め合う関係となり、見えない明日にむかって希望を求めて歩いて行こうとしている。だが、彼らがどんなに足掻いても、彼らが輝きを放てる場所は限られている。底に沈んだ光は、そこでしか輝くことができないのだ。

達夫と千夏は、結婚し娘・ナオが生まれる。寝たきりだった千夏の父親が死んで、バラックには母親と拓児が暮らす。拓児は出稼ぎで働いている。

ある日、達夫と千夏のアパートに拓児が松本という男を連れてくる。松本は、鉱山で働いており、拓児はその鉱山で働けば一攫千金が手に入ると考えている。松本は、達夫が一緒に来るなら、拓児も山に連れて行ってもいいという。達夫は、考えた末に承知し、仕事を辞めて山に入る準備を進めるが、その最中に拓児が人を刺してしまう。

底辺で必死に足掻き、ほんの僅かな取っ掛かりを見つけて指をかけた瞬間、その努力をあざ笑うかのように足元を掬われ、人はまた底の底へと落ちていく。佐藤泰志が描いた達夫や千夏、拓児の姿は、決して報われることのない底辺の人々の、ありのままの姿なのかもしれない。そして、佐藤泰志自身が、小説家としての自己を達夫や千夏、拓児のような存在して考えていたからこそ、底辺で生きることの辛さと、それに対する諦めのようなものが、この作品に投影されているのではないだろうか。

死後、25年を経て、その存在が注目されている作家・佐藤泰志。彼の生き様が凝縮されているのが、本書「そこのみにて光輝く」なのかもしれない。

2.映画「そこのみにて光輝く

そこのみにて光輝く 豪華版Blu-ray

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 【データ】

  「そこのみにて光輝く」(2014年4月公開)
   ・監督:呉美保
   ・出演:綾野剛池脇千鶴菅田将暉、他


映画「そこのみにて光輝く」は、佐藤泰志の原作小説の世界観を踏襲しつつ、ストーリーや人物の設定にはアレンジが加えられている。

綾野剛が演じる達夫は、砕石場で発破技士として働いていた経験があり、現場での爆発事故で後輩を死なせてしまった過去に囚われている。火野正平演ずる松本から、現場への復帰を切望されているが、その踏ん切りがつかない。

パチンコ屋で知り合った拓児(菅田将暉)に誘われて彼の家に行き、そこで千夏(池脇千鶴)と出会う。千夏は、昼はイカの塩辛を加工する工場で働き、夜は身体を売って稼いで一家を支えていた。拓児は前科持ちで、千夏の不倫相手である中島の会社で面倒をみてもらっている。

小説では、達夫の千夏は結婚し娘を授かっているが、映画では結婚を約束する関係で終わっている。また、達夫の人物的な背景設定であったり、中島と千夏、中島と拓児の関係や、松本と達夫の関係も小説とは異なり、より明確な関係性へとアレンジされている。

映画版でのポイントは、高橋和也が演ずる中島という男にある。造園会社を経営し地元の名士でもある彼は、妻帯者でありながら千夏と不倫の関係にあり、その関係を踏まえて拓児の保護司として彼の面倒を見ている。千夏は、達夫との関係が深まるに連れて、中島との関係に嫌気が差し別れを切り出すが、中島は未練たらしく彼女につきまとい、拓児をネタにして関係の継続を迫る。

小説と同様に達夫と山に入ることを楽しみにしていた拓児は、傷害事件を起こして警察に捕まる。映画では、千夏との関係を笑い飛ばした中島に腹を立て、彼を刺している。小説では、拓児の事件が特に伏線もなく起きたような印象を受けるが、その点は映画ではわかりやすくなっているように思える。中島は、ここに登場してくる人物の中では成功者に分類できる。つまり、達夫や千夏、拓児に対して上位に立つ者だ。中島は、千夏や拓児を常に蔑んでおり、自分が彼らの命運を握っていると思うことで優位に立とうと考えている。そういう関係性が伏線として映画全編にあるからこそ、拓児の愚行に深い理由が生み出されるのである。

3.小説と映画
小説版も映画版も、「そこのみにて光輝く」という作品がもつ世界観を描き切った良作である。佐藤泰志が、自らの筆で描き出した、底辺に住む人々に与えられた境遇は、映画でも丁寧に描かれていたと思う。

映画は、第38回モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を受賞した。また、第88回キネマ旬報ベストテンで、日本映画の第1位に選出されている。

佐藤泰志という才能は、残念ながらすでにこの世には存在しない。それでも、その遺された作品は、本書や「海炭市叙景」の映像化によって、再評価されている。また、最近では福間健二による評伝「佐藤泰志 そこに君はいた」も出版されている。さらに再評価の機運が高まっていくものと期待している。

佐藤泰志 そこに彼はいた

佐藤泰志 そこに彼はいた