タカラ~ムの本棚

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小説世界に対する巧みな企てが本当にうまい−佐藤正午「鳩の撃退法」

佐藤正午は、もっと評価されていい作家だと、その作品を読むたびに思っている。
「永遠の1/2」で第7回すばる文学賞を受賞してデビューした後、「リボルバー」、「ジャンプ」、「5」、「身の上話」など、良質な作品を生み出してきており、書評家などからも評価されているが、どうにもイマイチ知名度が足りていないように思える。

鳩の撃退法 上

鳩の撃退法 上

 
鳩の撃退法 下

鳩の撃退法 下

 

本書「鳩の撃退法」は、前作「身の上話」から約5年ぶりに発表された新作である。上下巻組の作品で、佐藤正午作品の中ではこれまでで一番長い。

主人公は、小説家である津田伸一。かつては直木賞も受賞したこともある作家だったが、筆禍事件によって文壇からは爪弾きにされて、今は地方の街でデリヘルの送迎ドライバーをして糊口をしのいでいる。その、しがない元小説家の男が、偽札事件に巻き込まれ、さらに一家三人神隠し事件も絡んで複雑な様相を呈してくるのが、一応本書の基本ストーリーだ。

佐藤正午は、人間的に弱い人を描かせると本当にうまい作家だ。本書に登場する津田伸一も、いわゆる“ダメ男”であるし、デビュー作の「永遠の1/2」でも、主人公は失業の身にありながら「ツキが向いてきた」と競輪に興じるような男である。佐藤正午が描く人物は、誰もが心に何かのトラウマのようなものを抱えており、弱い。

本書に登場する津田は、作家としての過去の名声に絡め取られ、未来にはあまり期待していない。まったくの不幸だという訳ではないけれど、幸福という訳ではない。知り合った女のアパートに居候し、女の車を使って、デリヘル嬢を客先に送迎するドライバーとして日銭を稼いでいる。知り合った女のアパートに転がり込んで暮らしており、仕事で使う車も女の所有車を借りている。

津田は、人間的にはちょっと難のある人物だが、不思議に魅力的な人物でもある。厄介事に巻き込まれて右往左往するけれど、女性には結構モテる。皮肉屋で時々他人を蔑むような態度を示すけれど小心者でもある。読者は、津田の言動に呆れ、笑い飛ばしながら、彼の不思議な魅力にとらわれてしまう。

津田は、自分が巻き込まれた偽札事件、神隠し事件を題材に小説を書き始める。本書の冒頭には、次の一文がある。

この物語は、実在の事件をベースにしているが、登場人物はすべて仮名である。僕自身を例外として。

直木賞作家・津田伸一が、自らもその渦中にいた事件を小説として描いたのが、「鳩の撃退法」なのである。つまり、本書は津田の起死回生の作品という位置づけにもなっており、こうして出版されたことで、彼が作家として再生できたのかを読者が想像することで作品世界に入り込むことまで想定した作品とも言えるのである。ただ単純に作品内世界だけの企みではなく、読者も巻き込んだ広い世界観をも構築してしまうところに佐藤正午という作家の小説巧者ぶりが感じられると思う。だからこそ、佐藤正午という作家にもっと注目が集まればいいな、と思うのである。

身の上話 (光文社文庫)

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リボルバー (集英社文庫)

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