タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

やしきたかじん最期の日々を献身的に支えた妻の話は感動的である。だが、どうにもモヤモヤが拭いきれない−百田尚樹「殉愛」

「関西の視聴率男」と呼ばれたやしきたかじんさんが食道がんによって亡くなったのは、2014年1月のことである。彼の死は、ホームグラウンドである関西はもちろんのこと、彼の番組がほとんど放送されていない東京にも衝撃を与えた。

殉愛

殉愛

 

食道がんが発覚してから亡くなるまでの約2年間、たかじんさんを献身的に支えた女性がいる。さくらさんというその女性は、たかじんさんの食道がんが発見される直前に出会い、彼の闘病中ずっと看護を続けていた。彼の最期を看取ったのも彼女である。

本書は、著者である百田尚樹氏がやしきたかじんを偲ぶ会の席で、若き未亡人となったさくらさんに出会ったところから始まる。たかじんが残したというメモには、彼が百田氏の才能に惚れ込んだこと、彼の人生最後に読んだ本が「海賊とよばれた男」であることが綴られており、そのことに百田氏は感激している。当初、百田氏は本書を執筆するつもりはなかったが、すべての予定を半年先延ばしして執筆することを決める。

この本に描かれているのは、やしきたかじんの人生ではない。
この本に描かれているのは、病と戦い死に向かっていくひとりの男を献身的に支え続けようとする若い女性の記録だ。
さくらさんのたかじんさんに対する献身ぶりは、想像を絶する。がん治療に伴う様々な苦痛や精神の錯乱、ふとしたことで弱気になるたかじんさんの精神状態、ときにはわがままに、ときには暴力的になる彼に寄り添い、自らは突発性難聴の治療もままならずに左耳の聴力を失ってまで、さくらさんはたかじんさんの看病を続ける。
また、ネットその他からの情報収集や積極的な行動によって、どうにか100%の治療を彼に受けさせようと東奔西走する。

長年連れ添った夫婦であっても、果たしてそこまでできるのか。だが、さくらさんがたかじんさんと出会ったのは、彼のがんが発覚する直前なのだ。つまり、ふたりが過ごした日々はほとんどたかじんさんの闘病の日々なのである。

本書は、「やしきたかじんとさくら」の殉愛ストーリーとして一貫して描かれていれば、感動のノンフィクションのなっていただろう。しかし、ご承知の通り、本書が刊行されて以降、さくらさんと百田氏の周囲には泥臭い問題が次々と発生する。

未亡人となったさくらさんに対するバッシングは、本書が刊行される前から始まっていた。彼女の生い立ち、彼女の結婚、離婚に関する話、たかじんさんの遺産を巡る争い。お決まりのようなゴシップの連続である。

その誹謗中傷に拍車をかける要因を本書が作ったことも否めない。
本書には、懸命にがんと闘っているやしきたかじんとさくらさんに辛くあたる悪役的な存在として、たかじんさんの実の娘とK、Uというふたりのマネージャー兼弟子が登場する。本書に書かれているとおりだとすれば、彼らは病に苦しくたかじんさんたちを助けることも励ますこともせずに、自らの保身や金の心配ばかりに明け暮れ、さくらさんに対してはたかじんさんの生前から誹謗するような言葉をぶつけ、死後も対立を繰り返す。

当然、悪役とされた彼らとしては納得がいかない。彼らは、百田氏、さくらさんを相手取って訴訟をおこすまでに発展する。これは、現在係争中の案件だ。

一読者としていえば、本書はあまりにさくらさんの側に立ち過ぎている。やしきたかじんというスターに傾倒し、さくらさんの献身ぶりを証言してくれるテレビ関係者や医療関係者には直接話を聞き、証言を得ているのに対して、たかじんさんの娘やK、Uの側への取材は一切行われていない。彼らの言い分には、一切耳を貸していないといってもよい。

百田氏が、やしきたかじんと妻さくらの物語に魅せられのめり込んでしまったのは間違いないのだと思う。だからこそ、彼らを美化する方向に、意識的にか無意識かは別にして、話が進んでしまったと言わざるを得ない。著者は否定するかもしれないが、少なくとも読者は、そういう認識に立ってしまう。

この本が、病と闘い強く生き抜いた夫婦の深い愛情を描いた「純愛ラブストーリー」であるならば、素敵な小説なのだろうと思う。でも、本書がノンフィクションであるならば、その内容は中立的であって欲しい。フィクションならば、対立する相手側を極悪人として描くのは王道パターンだ。しかし、事実を事実として伝えるのならば、一方の言い分だけで記すことは片手落ちになる。少なくとも彼らもやしきたかじんと縁の強い人たちなのだ。彼らには彼らの抱える事情があり、言い分があるはずだし、その点もきちんと吸い上げなければノンフィクションとしては不完全なのではないだろうか。