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現代中国文学の傑作である-閻連科「愉楽」

以前、キャサリン・ダンの「異形の愛」をレビューした。身体にハンデキャップを有するフリークスを描いた傑作である。

愉楽

愉楽

 

閻連科「愉楽」は、「異形の愛」に匹敵するフリークス小説の傑作である。

双槐県の柳県長は、レーニンの遺体をロシアから購入して展示することを県の観光の目玉にしようと計画する。その資金集めのために、受活村に住む特殊能力を有する障がい者を見世物にした絶技団を結成すると、これが全国各地で大当たり。多額の興行収入を得てしまう。その莫大な収入は受活村の住民たちにも多大な影響を及ぼしはじめる。

受活村は、かつて忘れられた村であった。どの県にも属さず、どの県からも疎ましがられた障がい者の村を双槐県に認めさせ、公社にも入社させたのは、かつての共産党八路軍女性兵士であった芽枝。だが、その後の受活村は、弱者の村としてよそ者たちの凌辱の災いに晒されてきた。老いた芽枝は、今度は公社からの退社に奔走する。そこに降って沸いたのが、絶技団騒動だったのである。

片足で超人的な身体能力を有する者、耳元で爆竹を鳴らされてもびくともしないつんぼの男、全盲ゆえに類まれな聴力を有し、あらゆる音を聞き分けられる少女。絶技団に属するフリークスたちは、その技を原資に全国を行脚し、村に住んでいた頃には考えもつかなかったような大金を手に入れる。

金が人の人生を狂わせるのは世の常だ。受活村の住民たちも、その欲望に取り憑かれ、次第に芽枝の存在や考えを疎ましく思うようになっていく。しかし、彼らにとっての幸せな時間も長くは続かない。レーニンの遺体購入が難航し、柳県長の地位が揺らいでくると、フリークスたちをもてはやしていた完全人たちの態度が一変し、フリークスたちは追い詰められていく。

レーニンの遺体を買い付けて観光の目玉にしようという発想。身体に何らかの障がいを持つ者ばかりが住む村。フリークスを集めて見世物を行い大金を得ようとする役人たち。「愉楽」に描かれるのは、およそ常識では考えられないようなイレギュラーな物語だ。しかし、その設定の随所に、著者・閻連科が有する現代中国への大いなる皮肉が散りばめられているように思う。

本書を「中国版マジック・リアリズム小説」と称するのは簡単なことかもしれない。事実、前述したようなストーリーや設定は、マジック・リアリズム的手法に当たるのだろう。だが、そういった幻惑的な小説世界以上に、私がこの小説から感じたのは、結構ドロドロした人間のエゴイズムであり、むしろ現実論的なストレートなドラマである。物語の中心人物である柳県長や芽枝婆は、決して幻想世界の人間ではなく、かなり現実を反映した人物に思えてならないのだ。

キャサリン・ダン「異形の愛」が、フリークス一家の愛と憎悪を描いていたように、「愉楽」は受活村に住むフリークスな住民たちの愛と憎悪を描いている。なので、私としては「異形の愛」と「愉楽」の両方を読むことをお薦めしたいのだ。だが、残念なことに「異形の愛」は未だ絶版中で入手困難。改めて、復刊を切に願うばかりである。