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見えないという制約から生まれる効果-下村敦史「闇に香る嘘」

 

ミステリ作家の登竜門として長い歴史を持つ江戸川乱歩賞。その第60回受賞作が、下村敦史「闇に香る嘘」である。

闇に香る嘘

闇に香る嘘

 
闇に香る嘘

闇に香る嘘

 

主人公は全盲の村上和久。本書は、和久の一人称で展開していく。全盲の主人公による語りで話が進んでいくため、視覚的な要素がほとんど描写されない。見えないハンデキャップは作中人物である和久への制約であると同時に、作者に対する制約にもなっている。また、読者も限られた情報を頼りに和久が置かれている状況などをイメージする必要がある。

 

和久は、戦時中に家族で旧満州に入植した。敗戦後の引揚げのゴタゴタで兄・竜彦は中国残留孤児となり、その後、残留孤児帰国事業で日本に戻っていた。一方の和久は、40歳を前にして視力を失い、それが原因となって妻とは離婚。一人娘の由香里との関係はギクシャクしている。由香里の娘であり、和久の孫になる夏帆は、腎臓の病で人工透析が欠かせない身体で、かつて由香里の腎臓を移植したが、それもダメになってしまった。祖父である和久の腎臓移植に望みを託すが、検査の結果移植は不可能と判明する。和久は、兄・竜彦の腎臓を夏帆に移植してもらうため検査を受けて欲しいと頼むが、竜彦はこれを頑として拒否する。その態度の頑なさから、和彦は竜彦が偽者なのではないかと疑心を抱く。それを確かめるために動き始めた和彦に本当の兄を名乗る男からの電話があり、合わせて意味不明な点字の手紙が届くようになる。そして、調査を進める彼に次々と不穏な出来事が起こり始める。

 

物語の中核となるのは、中国残留孤児として帰国した和彦の兄・竜彦が、本当に和彦と血を分けた肉親なのかという点にある。和彦は目が見えないため、竜彦に子供の頃の面影が残っているか、などといった視覚的な情報を確認することができない。見て確認できないことが和彦の疑念をドンドンと深めていくのだ。見えないという制約を活かした展開だと思う。

 

また、点字の手紙による暗号トリックも面白い。暗号トリックとしての出来不出来には賛否様々な論があると思うが、ストーリー全体の構成からは暗号トリックそのものが高い重要性を有する訳でもなさそうなので、私個人としては特に気になるところではなかった。むしろ、江戸川乱歩賞の応募作に暗号トリックを盛り込んだところに、乱歩へのリスペクトが少なからず有りそうな気がした(江戸川乱歩のデビュー作「二銭銅貨」は暗号トリックを使ったミステリなのだ)。

 

本書の最大の謎は、竜彦が本物なのか偽者なのかにある。人物の入れ替えの謎がいかに解き明かされるかが、本書の山場になるだろう。その点、本書で描かれた真相はかなりのドンデン返しがあったと思う。具体的な内容はネタバレになるので、以下に文字を反転させて記しておく。

 

 

***ネタバレ:ここから***

 

入れ替わりトリックの真相は、竜彦ではなく和彦が村上家の実子ではなかったというもの。和彦は、中国で和彦の母が中国人の若い母親から引き取って養子にした子供だったのである。さらに、和彦は実は双子で、その中国人の兄は、日本への密航を企てて逃走し、和彦に連絡をとってきた男だった。最終的に実の兄とも再会を果たした和彦は、彼から夏帆への腎臓移植を受けることになる。そして、一度は偽者と疑った竜彦とは、より一層の愛情で深く結ばれることになる。

 

***ネタバレ:ここまで***

 

 

江戸川乱歩賞は長い歴史があり、東野圭吾その他多くの人気作家を生み出してきた。長く回数を重ねてきた中には、作品としての良し悪しにブレもあるが、本作に関しては久しぶりに寝食を忘れて小説に没頭できる作品だった。著者は、何度も乱歩賞に挑戦した末に今回の栄誉を受けた。おそらく、今後プロ作家として多くの作品を生み出してくれるに違いない。まずは、乱歩賞受賞後第1作となる次作に期待したいと思う。