タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「税金で買った本」原作:ずいの、漫画:系山冏/講談社-ひょんなことから図書館で働きだした石平くんと個性豊か司書さんたちを描いた図書館のお仕事マンガ

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自分で買った本を読むので手一杯なのと、基本的に所有欲が勝っているので図書館を利用する機会はあまりなくなっているのだが、それでもすでに絶版になっているような古い本を読みたいときや資料を探しているときは図書館にお世話になっている。

「税金で買った本」は、そんな図書館を舞台にしたお仕事マンガである。原作のずいのさんは図書館勤務の経験者でその経験をベースしたエピソードで本書は構成されている。

外見や態度は不真面目だが根は優しそうなヤンキーの石平くんは、貸出カードを作りに来た図書館で応対に出た司書の早瀬丸さんから10年前に貸し出したままになっている「わくわく☆しりたい どうぶつのなぞ」を弁償をしてほしいと言われる。「ふざけるな!」と声を荒げる石平くんの前に現れたのは超ムキムキマッチョな司書の白井さん。長年クレーマー利用者から「税金ドロボウ」と罵声を浴び続けてきた彼がもっとも嫌うのが、“税金で買った本”を紛失したり傷つけたりしたのに弁償を拒む人なのだ。

ということで、石平くんは紛失した「わくわく☆しりたい どうぶつのなぞ」を弁償することになる。図書館の決まりで現金での弁償はNG。同じ本を自分で購入して弁償するのだ。「二度と来ない」と吐き捨てるように立ち去った石平くんだったが、さて彼は本を買って弁償するのか?

本書のテーマは図書館の仕事だ。普段利用者として図書館に接している側からすると、カウンターで貸出/返却の対応をしてくれたり、調べ物の手伝いをしてくれたりするのが目に見える図書館のお仕事なのだが、その裏側では私たちが知らないことがいろいろとあるのだなと知ることができる。

利用者が借りたまま紛失してしまったり、修復できないほどに壊してしまった本は、利用者が同じ本を購入して弁償すること(現金での弁償は受け付けられない)。本が破損した場合の修理方法(良かれと思ってセロテープで貼り付けたりしていはいけない)。強烈なニオイのこびりついてしまった本への対応(数ページごとに新聞紙を挟んでニオイ取りするらしい。ただし限度はある。ときどきヤニ臭い本とかあったりするよね)。こんな感じで利用者として気になっていたことがテーマになっていたりする。図書館の蔵書は本書のタイトルの通り“税金で買った本”である。けっして自分の所有本ではない。だから、借りた本は丁寧に扱わなければならないし、傷つけたり無くしたりしたら弁償しなければならないこともある。

第4話では、図書館の学習スペースを使って自分のスマホやらタブレットやらを充電する迷惑な利用者の話が出てくる。彼は「税金払っているからその分の元を取りたい」と言うが、石平くんはそれが具体的に何円の特になっているのかと問う。そこから各機器の消費電力や電気料金の単価を計算して、いったいいくら得しているのかを算出してみるのだが、その推して知るべし。払っている税金に比べて全然元なんて取れていない。そもそも図書館で充電したくらいで元を取れるはずはないのだ。それよりも図書館が存在し、もう手に入らないような古い本が読めたり、レファレンスサービスを利用して知らないことを調べたりして知識を得ていくことが税金で図書館を運営することで私たち利用者が得られるメリットなのだ。

「税金で買った本」は、現在(2022年4月9日時点)で第2巻まで刊行されている。このレビューは第1巻と第2巻をまとめてのレビューになる、第2巻では図書館への寄贈本の話とか、イタズラ電話の話とか、読み聞かせの話とかがエピソードテーマになっている。石平くん、早瀬丸さん、白井さんの他にもなにやら個性的なキャラも登場してくるし、石平くんのちょっと複雑な人間関係とか図書館で働くことでの成長なんかも描かれていく。

図書館を題材にした小説やマンガは他にもあるから、本書も含めいろいろと楽しんでみるのもいいかもしれない。

「時の他に敵なし」マイクル・ビショップ/大野豊訳/竹書房文庫-ネビュラ賞長編部門賞受賞のタイムトラベルSFかつラブロマンス小説。だが、そんな単純で通俗的な小説ではない。

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本書は、原書が1982年に刊行され、翌年にはネビュラ賞の長編小説部門を受賞した作品である。そこからおよそ40年を経て翻訳刊行されたことになる。おそらくSFファンの間では長年、翻訳が待たれていた作品になるのだろう。

裏表紙のあらすじの最後に、「異色のタイムトラベルロマンスであり、ひとりの黒人青年の魂の戦いを描いたネビュラ賞受賞作」とあるように、本書はタイムトラベル物のSF小説であり、かつ主人公である黒人青年ジョシュアが、タイムトラベルした石器時代で出会うホモ・ハビリスのヘレンと恋に落ちるというラブロマンス小説でもある。ただ、そのような括りの中だけでは語れない複雑な要素が本作品中には盛り込まれている。

ストーリーは、現代パートと石器時代パートが交互に描かれていく構成となっている。どちらも主人公はジョシュア・カンパ(あるいはジョン=ジョン・モネガル)である。

ジョシュアにはある特殊な能力がある。彼は石器時代の夢を繰り返し見ていた。それはあまりにリアルなものであり、単なる夢と片付けられないものだった。彼は、夢の中に実際に石器時代にタイムトラベルしていたのだ。彼の能力を知った古人類学者や物理学者たちは“ホワイト・スフィンクス計画”というプロジェクトにより、ジョシュアを石器時代に送る実験を行うことになる。送られた石器時代で彼は、彼らがホモ・ハビリスと名付けた現生人類のグループに遭遇し、行動をともにするようになる。そして、その中にいた、彼がヘレンと名付けた女と恋に落ちる。

ジョシュアがホワイト・スフィンクス計画により石器時代に送られ、そこでホモ・ハビリスのヘレンと出会い恋に落ちる石器時代パートと並行して描かれる現代パートは、ジョシュアの誕生と成長そして家族との関係を描いている。

ジョシュアの実母は、エンカルナシオンという娼婦であり闇商人である。彼女はアメリカ軍人と関係を持ち彼を産んだ。そして、彼を捨てた。捨てられた子どもは、アメリカ空軍下士官であるヒューゴー・モネガルと妻ジャネットに引き取られ養子となり、ジョン=ジョンと名付けられた。夫妻にはアンナという娘があり、家族4人での生活が始まった。

ジョシュアの立ち位置を語る上で、彼の実母であるエンカルナシオンが文盲であり口がきけないということ、彼の父であるアメリカ軍人は黒人であり、彼自身も黒人となることは物語のポイントとなるだろう。その生い立ちとジョシュアが持つ特殊な能力との直接的な因果関係はないが、彼自身がその能力とは違う部分で生きづらさを感じたり、なんらかの差別を受けたりといったことが、彼の性格的なものであったりにも反映しているところがあるように思う。

そういう意味で、ジョシュアが石器時代ホモ・ハビリスのヘレンに恋をすることも、単純なラブロマンスとして読むのではなく、異質な者同士のコミュニケーションや相互理解という観点で考えると見え方が変わってくるように思う。言葉では理解しあえない者同士がいかにして意思を伝えるか、いかに分かり合うか、ということはいつの時代にあっても存在する永遠の課題なのかもしれない。ジョシュアとヘレンの間には、数百万年という時間的な隔たりもあるので、コミュニケーションはさらに困難なものとなる。

ジョシュアとヘレンという完全に異質なふたりの相互コミュニケーションという困難さを描くのと並行して、ジョシュアと養母ジャネットとの間で、彼の能力をめぐって起きる関係の溝は逆の意味で相互コミュニケーションの難しさを描いている。信頼の欠如とでも言えばいいだろうか。親子の間に生まれた溝は簡単には埋められるものではないということなのだろう。

訳者はあとがきで、「少なくとも2回は読んでもらいたい」と書いている。確かにこの本は1回読んだだけでは完全に内容を理解することは難しいかもしれない。基本的なストーリーはシンプルなのだが、その中に盛り込まれた様々なメッセージや仕掛けは、数回読まないと見えてこない。今回私はこのレビューを1回読んだだけで書き始めたが、何を書こうかと文章を考える中で飛ばし読みではあるか2、3回読み返した。そのたびに、「ここにはこういう意図があるのかも」と感じたところがあった。キチンと読み返せばもっと新たな発見があるかもしれない。いずれ機会があれば読み返してみようかと思う。

「鋼鉄都市」アイザック・アシモフ/福島正実訳/早川書房-実はアシモフ作品を読むのは本書がはじめて。宇宙人殺害事件を人間とロボットのコンビが捜査するSFミステリーでした。

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2022年に入ってSF小説ばかり読んでいる。読んだのは「三体Ⅲ 死神永生」(まだレビュー書いてません。書かないかもしれません)、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」「ダリア・ミッチェル博士の発見と異変」「最後のライオニ」「男たちを知らない女」と、昨年から今年に翻訳出版された新刊ばかりだったので、同じSFでも次は古典といってもいいくらい古い作品を読んでみようと思い手にとったのがアイザック・アシモフ鋼鉄都市」だ。

SF読みにとってアイザック・アシモフSF小説のパイオニアと言ってよいレベルの存在だろう。『ロボット三原則』というロボットが従うべき原則を作品の中で提唱したのがアシモフである。

ロボット三原則
第1条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第2条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第1条に反する場合は、この限りではない。
第3条 ロボット、前掲第1条および第2条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。
(「ロボット工学ハンドブック」第56版、西暦2058年より-「われはロボット〔決定版〕」早川書房所収)

ロボット三原則SF小説の世界を離れ現実のロボット工学にも影響を与えたとされている。

鋼鉄都市」は、宇宙人殺害事件をニューヨーク市警のイライジャ・ベイリと宇宙人側から派遣されたロボットR・ダニール・オリヴァーのコンビが捜査するミステリ小説である。

物語の舞台設定として、地球には代々地球に暮らしてきた人間と過去に宇宙に植民した人間の子孫である宇宙人がいる。人間と宇宙人の格差は大きく、また人間の中でも階級によって生活レベルに格差がある。巨大な鋼鉄都市に暮らし、人工的に生産された食料を配給されて暮らしている。

鋼鉄都市では、多くの仕事はロボットが行っている。ロボットに仕事を奪われた人間は、ロボットを嫌い、物質的優位に立つ宇宙人にも嫌悪感を持っている。それは、主人公ベイリも同様だ。警察署内で人間がロボットに仕事を奪われたことを苦々しく思っている、宇宙人に対しても信頼していない。

その中で、宇宙人が熱線銃で惨殺され、本部長のエンダービイからR・ダニール・オリヴァーとコンビを組んで捜査にあたるようにベイリは指示される。ベイリにとっては苦痛でしかないが、立場上しぶしぶ引き受けることになる。こうして人間とロボットがコンビとなって宇宙人殺害事件の捜査にあたるという状況が生まれる。

本書は、SF小説であると同時にミステリー小説でもある。アシモフは「黒後家蜘蛛の会」でミステリー作家としても作品を書いているし、本書もバディ物のミステリー作品として読み応えがある。信頼できない相棒(といってもベイリが一方的にロボットを嫌っているだけだが)とぶつかり合いながら事件の真相に迫っていくプロセスや、かつての地球を取り戻そうと人民を扇動する懐古主義団体の存在、ロボットに対する敵愾心をあらわにする人間たち。様々な要素が入り交じってストーリーが展開していく。そして、ラストには衝撃的な真相が明らかになり、ベイリとオリヴァーのコンビの行く末も明らかとなる。

現在の視点で読むと古めかしさを感じる部分はあるかもしれないが、アシモフの作品があったから今のSF作品が生まれてきたのだと考えると、パイオニアとなることの重要性と奥深さを感じてしまう。基本に立ち返るではないが、こうしたパイオニア的作品にふれることも読書の幅を広げるという意味では大切なことだと感じた。

 

「男たちを知らない女」クリスティーナ・スウィーニー=ビアード/大谷真弓訳/早川書房(ハヤカワ文庫)-男だけが発症し10人中9人が命を落とすウイルスによるパンデミック発生。そのとき人々は何を考え、どう行動するのか

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COVID-19パンデミックは、私たちの社会や暮らしを大きく変えた。人と人が対面で会う機会がなくなり、自宅から外へ出ることなく仕事をしたり、イベントをしたりするようになった。そして、いろいろなものを失った。仕事を失った人もいる。なにより、愛する家族、恋人、友人を失った人がいる。わずか数年前までの日常だったものは、いまはもう戻ってくることはないだろう。

クリスティーナ・スウィーニー=ビアード「男たちを知らない女」は、新種のウイルスによるパンデミックがもたらす巨大な変化の中で生きる人々の姿を描くパニックSF小説である。著者の前書きによれば、執筆されたのは新型コロナウイルスパンデミックが起きる前のことで、巻末の解説で作家の菅浩江さんが書いているように〈現実に追いつかれてしまった疫病SF〉になる。

物語はほぼ全般にわたって、(一部の例外はあるが)女性たちのモノローグとして書かれている。職業も社会的地位も住んでいる国も地域も違う女性たちが、それぞれの立ち位置で自身に降り掛かったこの悪夢のような出来事と向き合い、打ちのめされ、そして再び歩き出す。そのプロセスが時間の経過とともに描かれていく。

平和で幸福だったはずの暮らしは、あるひとりの患者の死によって壊され始めていく。そのウイルスは、男性にも女性にも感染するが発症するのは男性のみ。女性は無症状だがウイルスのキャリアになる。そのウイルスに対する免疫を有する男性は10人に1人であり、残り9人は感染して発症すれば間違いなく死ぬ。

ウイルスのまん延により、地球上の9割の男性が命を落とす。それはつまり、男性が中心となって動いてきた社会構造が根本的に崩壊することを意味する。政治も経済も、あらゆることが男性中心に構築され運営されている現在の世界的な社会構造が本当に脆くて危ういものなのだということを本書は示している。前書きでは「究極の思考実験」と記しているが、その思考がフェミニズム的なものかどうかはわからない。読者の中にはそういう視点で本書を捉える人もいるだろう。

私自身は特に思考的なところはなく、「男性しか発症しない新種ウイルスのパンデミックで男性のほとんどな死んでしまったらこの世界はどうなるのか?」という興味から読み始めた。著者が、女性が圧倒的なマジョリティーなった未来世界をどう描くのかに興味があった。

読み終わって思うのは、私が期待していた未来世界を描くような作品ではなかったということだ。本書は、パンデミック後の世界を描く作品ではない。まさにパンデミックの渦中にあって、人々がどう振る舞うかが描かれる。致死性の高いウイルスから夫や息子を守るため我が身を守るために人々は徹底的な隔離生活をおくり人との接触機会を極限まで減らそうとする。医師という立場にありながら職場放棄する者もいる。ウイルスの発生起源を追い求める者があれば、ワクチン開発に自らの名声と高い利益を求める研究者がいる。

本書で描かれているのは、いま私たちがCOVID-19パンデミックの中で実際に経験していることと共通している。本書で描かれるウイルスがあまりにも凶暴であり、人々を絶望へと突き落としていくという度合いが桁外れであるということが唯一の違いかもしれない。

本書は、COVID-19パンデミックがなければ間違いなく想像力に溢れた近未来疫病パニックSF小説として読めただろう。しかし、時代が完全に小説世界に追いついて同化してしまった。実際にパンデミックを経験した私たちは、この作品をSFとしてというよりも現実に近い世界線の物語として読んでしまう。

ただ、それは本書がつまらなかったということではない。むしろ、現実で起こっていることをそれ以前に小説世界で描き出していたことに驚嘆する。作家の想像力はときに現実に翻弄されることもあるが、現実を凌駕することもある。作家のすごさを改めて感じさせる作品でもあると感じた。

「最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集」河出書房新社-世界的なパンデミックを経験した6人の作家たちがそれぞれに描く未来の姿

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「最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集」は、6人の作家によるSF短編アンソロジー集だ。名前を連ねるのは、キム・チョヨプ、デュナ、チョン・ソヨン、キム・イファン、ペ・ミョンフン、イ・ジョンサン。本書で日本にはじめて紹介される作家もいる。翻訳は、斎藤真理子さん、古川綾子さん、清水博之さんが手掛けている。

【収録作品】
第一章 黙示録 終わりと始まり
「最後のライオニ」キム・チョヨプ/古川綾子訳
「死んだ鯨から来た人々」デュナ/斎藤真理子訳
第二章 感染症 箱を開けた人々
「ミジョンの未定の箱」チョン・ソヨン/古川綾子訳
「あの箱」キム・イファン/清水博之訳
第三章 ニューノーマル 人類の新たな希望
「チャカタパの熱望で」ペ・ミョンフン/斎藤真理子訳
「虫の竜巻」イ・ジョンサン/清水博之訳

本書は、3つの章で構成されている。第1章はパンデミックによって滅亡した世界を描いていて、「最後のライオニ」、「死んだ鯨から来た人々」は、いずれも地球外の遠い星を舞台にしている。

「最後のライオニ」では、人類が滅亡して機械だけの世界になった宇宙居住区に調査に向かった“私”は、そこで“セル”と名乗る視覚を失ったリーダー格の機械によって監禁されてしまう。セルは私を“ライオニ”と呼び、私が自分たちを救うためにこの場所に戻ってきたと言う。なぜ人類は滅び機械だけが残ったのか、ライオニとは誰なのか。
「死んだ鯨から来た人々」は、地球を離れ、鯨が生息する惑星で生きてきた人々の物語。この星では、島のように巨大な鯨がいて、人々はその背中に家を建てて暮らしている。その鯨たちの間で感染症が発生し、人々は死んだ鯨から新しい生活の場を求めて別の鯨を探す。彼らは生き残るために必要なものを手に入れることができるのか。

第2章で描かれるのは感染症パンデミックによる人々の混乱と生きることの意味を問う物語。

「ミジョンの未定の箱」は、パンデミックに見舞われたソウルから避難するミジョンが、その道中で光り輝くステンレス製らしき箱を拾ったことで、ミジョンの人生が過去に遡るように描かれていく。感染症が人々の命や生活を奪っていき、終末が近づきつつある中で、ミジョンが拾ったその箱は走馬灯のようにその人生を映し出していく。それはミジョンにとっての終末が近いということなのか、それとも希望のある未来が見えるのか。
「あの箱」では、ウイルスに感染した人は昏睡状態となり、ほとんどの場合意識を取り戻すことはない。そのため、安楽死が認められている。一部の回復できた人は、免疫を持つためボランティアとして活動している。ある日、ミンジュンのもとに“あの箱”が届けられる。罹患して昏睡状態になっている両親の遺骨が納められているはずの箱。だが、まだ両親は生かされていて箱は空っぽだった。この件でミンジュンはボランティアのソクヒョンと知り合う。そして、互いのAIが友達になり、ふたりも友人関係を築いていく。だが、ミンジュンがウイルスに感染。死の淵をさまようことになる。

第3章で描かれるのは、パンデミックによってもたらされた新しい生活様式ニューノーマル)をテーマとする。

「チャカタパの熱望で」は、読みはじめてすぐに違和感を感じた。“大学の歴史ガカ”や“イハン市民”といった表記がところどころに散見される。はねる音(“はっぴょう”などのように小さい“っ”で発音する言葉)や半濁音(パピプペポ)を使わずに書いているのだ。この作品は韓国語の激音(息を吐き出すように発音する)を使わない発音法が定着した近未来が舞台となっていて、翻訳にあたっては拗音の“っ”と半濁音を使わないことでこれを再現しているのである。飛沫感染防止でソーシャルディスタンスやマスク着用が言われているが、息を吐き出す発声を制限するという発想は面白い。
「虫の竜巻」で人々が恐れるのはウィルスではなく“虫”だ。虫は竜巻のように大群で街を覆い尽くし未知の病原体を運んでくる。人々は自宅にこもり、スクリーンウィンドウを通じて外の世界とつながっている。家にいながら仕事をし、人と会い、バーチャル環境で公園を散歩する。

6人の作家が描く6つの物語は、それぞれにいま私たちが置かれているパンデミック環境での、それ以前とは異なる生活や人と人との関係、なにより未知のウイルスに対する恐怖や実際に経験してきた日々、新しい生活様式といわれる在宅勤務やオンライン授業、ソーシャルディスタンスや自宅隔離といった事物から発想し、ある作品は壮大、ある作品は現実的な世界を描き出している。

それぞれの作品には、作家がその作品にどう向き合ったのか、どのような思いで書いたのかといった作品執筆にまつわるエピソードが記されている。誰も経験したことのないパンデミックという異常事態の中で作家たちは何を思っていたのか。そこからどのような作品を作り上げたのか。国は違えども同じパンデミックを経験している私たちとの考え方、捉え方の共通性や違っているところを意識しながら読んでみるのもいいかもしれない。

パンデミックがはじまって2年が過ぎ、まだまだ安心できない状況は続いている。おそらく、いま世界中の作家がパンデミックを経て、その経験を受けて、新しい作品を生み出しているのだろうと思う。パンデミック後に生み出された文学がそれまでの文学からどのように変化するのか。どこが変わってどこが変わらないのか。このアンソロジーを読みながら、その変化をいろいろな国の文学を通じて感じてみたいと思った。

「ダリア・ミッチェル博士の発見と異変 世界から数十億人が消えた日」キース・トーマス/佐田千織訳/竹書房文庫-私たちが知っていた世界は、たった2ヶ月で終わった。世界から数十億人が消えた「上昇」と「終局」の記録

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2023年10月17日、天文学者のダリア・ミッチェル博士が、遥か遠い銀河系外から発信されている謎のパルスコードを観測した。それは、未知の生命体によって送信された信号であり、とてつもなく高度に暗号化されたコードであった。

本書は、ダリア・ミッチェル博士によって発見された謎のパルスコードによって我々が経験した『上昇』と『終局』について関係者の証言や当事者の手記、捜査記録などで構成するノンフィクションである。冒頭には、当時のアメリカ合衆国大統領であったヴァネッサ・バラードによる「序文」が掲載されている。

これは世界がどのように終わったかについての、口述記録(オーラルヒストリー)である。

「前書き」を著者はそう書き出している。本書の執筆には23ヶ月を要したと記した上で、わたしたちが知っていた世界はたった2ヶ月で終わったと続ける。

2023年10月17日にカリフォルニア大学サンタクルーズ校に勤務する天文学者ダリア・ミッチェル博士が発見した未知の生命体によって送信されたパルスコードは、過去に私たちが想像し、SF小説SF映画で描いてきたような地球外生命体とのファーストコンタクトのようなものではなかった。高度に暗号化されたパルスコードは、人間の脳をハッキングするトロイの木馬型ウィルスコードだった。このコードに感染した者は、重力波や紫外線、人間の体内に巣食う病原など、通常の人間には見えないはずのものが見えるようになるなどの能力を発揮するようになった。それが『上昇』であり、影響を受けた者は『上昇者』と呼ばれた。そして、『上昇者』の多くが命を落とした。この一連の出来事が『終局』である。

著者は、ダリア・ミッチェル博士が残した私的記録や当時のFBIや政府による聴取記録、『上昇』と『終局』という事態への対応にあたった政府関係者、『上昇』を目撃した人たちや出来事によって生じた混乱の渦中にした人たち、陰謀論を唱える組織の関係者へのインタビューを通じて、『上昇』と『終局』とはなんだったのか、私たちにどのような影響と変化をもたらしたのか、未知の不測の状況におかれたときに人間がどれほどに弱く愚かになるのかを事実として記していく。

全編を通じて、本書は事実を事実として記したノンフィクションとして書かれている。だが、本書はもちろんノンフィクションではない。近未来を舞台にしたSFである。現在からみて近未来である2023年に起きた出来事をさらに未来の2028年から振り返って記すという体裁で書かれているのだ。

本の作りも凝っている。「ダリル・ミッチェル博士の発見と異変」は実際の本書のタイトルだが、ページを開けると2028年刊行のノンフィクションである「「上昇」秘録-ひとりの女性の発見が、いかにして人類史上最大の出来事につながったか-」という表紙タイトルが目に飛び込んでくる。さらに2023年当時のアメリカ合衆国大統領による序文、著者による前書きを経て本文に入っていくと、作中にある多数の脚注や巻末にある謝辞、主要参考文献の一覧もすべて作り込んでいるのである。

作りとして凝っていることの方に意識がいってしまうからか、読んでいてSF小説としての面白さを強く感じるところまではいかなかった。ただ、それは私の側の問題であって、本書がつまらない小説だということではない。本書は地球外生命体とのファーストコンタクトSFであり、異星人の侵略SFになるが、これまでに読んできた同種のSF小説や映画では、エイリアンははっきりとした物体として登場していたが、本書では『優越者』と呼ばれる異星人は実体としては登場しない。ただ、地球外生命体から送信されてきたパルスコードがあるだけだ。異星人(本書では『優越者』と呼ばれる)がどのような目的でパルスコードを送ってきたのか、『優越者』がどのような運命をたどったのかは、本書に最後にあるダリア・ミッチェル博士から人類にあてた手紙の中で明かされる。なるほど、そう来たかと思った。個人的にはすごく新しいと感じた。

 

「プロジェクト・ヘイル・メアリー」アンディ・ウィアー/小野田和子訳/早川書房-グレースとロッキー。最高のバディであり、最高の友人。その活躍にワクワクとハラハラが止まらない!

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※上下巻まとめての感想です。

※「ネタバレ」というほどの内容ではありませんが、ちょっと「ネタバレかな?」という部分もあります。念の為ご注意ください。

 

 

 

いやー、面白かった! その一言に尽きる。

「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は、「火星の人」でデビューしたアンディ・ウィアーの長編3作目となる作品。ビル・ゲイツ『2021年に読んでおくべき5冊の課題図書』の中の1冊に選んだこと、「火星の人」が抜群の面白さだったこともあって読む前から期待していたが、その期待をまったく裏切らない最高の作品だった。

gigazine.net

www.gatesnotes.com

はるか宇宙を進む船の中で男は目を覚ます。彼はこの宇宙船の乗組員で、地球を出発後の長い昏睡状態から覚醒したところ。記憶が混沌として自分の名前も思い出せない。という場面から物語は始まる。

彼の名前はライランド・グレース。元教師で科学者で宇宙船〈ヘイル・メアリー〉の乗組員。少しずつ彼は記憶を取り戻し、自分が〈ヘイル・メアリー〉でタウ・セチを目指していて、それは、そこにいま地球を襲っている危機から地球を救う解決方法のヒントとなる“何か”があるからだということを思い出していく。彼には人類を滅亡の危機から救い出すというミッションが与えられているのだ。

地球を襲っている危機は、“ペドロヴァ問題”と呼ばれる太陽エネルギーが指数関数的に減少する事象を指している。このまま太陽エネルギーが失われていくと地球は氷河期となり、人類は滅亡してしまうだろう。世界中の科学者が問題の原因を探り、それが“アストロファージ”によるものだと判明する。そして、“アウトロファージ”が太陽だけでなく他の恒星系でも同様の問題を起こしていることもわかってくる。ただ、唯一例外だったのが地球からおよそ12光年のところにあるタウ・セチだった。地球の危機を救うため、〈ヘイル・メアリー〉は建造される。そして、(まあいろいろとゴタゴタがあり)グレース博士はこうして〈ヘイル・メアリー〉に乗ってタウ・セチを目指しているのである。

上巻の前半は、地球を襲っているペドロヴァ問題、アストロファージの存在、そしてプロジェクトに巻き込まれてタウ・セチを目指す羽目になった主人公の奮闘が、現在(〈ヘイル・メアリー〉内でのリアルタイムな問題と対応)と過去(〈ヘイル・メアリー〉で宇宙へ旅立つまでに起きたさまざまな出来事)を交互に描かれる。現在も過去も、どちらも手に汗握るようなトラブルだったり、政治的な思惑だったりが盛り込まれ、読んでいて常にワクワクドキドキする展開で目が離せない。タウ・セチに着いてからは、科学者である主人公とバディを組むエンジニアと、異なる言葉や文化、生態の違いというハードルを互いの科学知識や技術力で協力して打ち破り、さまざまな困難な問題を解決しながらタウ・セチがアストロファージに影響を受けずに済んでいる理由を探っていく。科学者とエンジニアは、それが太陽だけでなくその他の恒星系に存在するであろう“ペドロヴァ問題”を解決すると信じて、故郷から遠く離れた場所で、他に頼れる者もいない場所で奮闘するのである。

ただ、人類滅亡という危機的状況から地球を救うためのミッションにアタックしている主人公たちは、悲壮感のようなものはそれほど感じさせない。むしろ、科学者、エンジニアとして新しい現象や技術に対する興味、好奇心が悲壮感を勝っていて、なんだかウキウキと楽しんでいるように感じてしまう。著者のデビュー作である「火星の人」で、たったひとり火星に取り残された主人公が火星基地に残された物資からさまざまなアイディアで危機を乗り越え、生き延びて救出を待ち続けたときにもポジティブさを失わなかったように、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の主人公たちも、いかなる状況にもポジティブさを失っていない。そのポジティブさが、読んでいて心地よいのである。

科学者とエンジニアというバディの活躍は、主に下巻で描かれる。主人公のグレースから見たバディ(グレースは「ロッキー」と呼んでいる)とは何者なのか。具体的に書くことはできないが、下巻の帯に「ファーストコンタクトSFの大傑作」とあるところから察してほしい。グレースとロッキーの会話のやりとり、互いをリスペクトする姿勢、そして協力してミッションをこなしていく中で育まれる友情。ラストに待ち受ける運命と決断に胸が熱くなった。グレースとロッキーは、マジで最高のバディだ!