タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「隠された悲鳴」ユニティ・ダウ/三辺律子訳/英治出版-『儀礼殺人』という特異な因習を題材にしたサスペンス小説。伝統の影にある人権の問題。

 

 

少女に恨みがあるわけではなかった。ただほしかったのだ、必要だったのだ。

物語は、この不穏な書き出しからはじまる。そして、3人の男たちによってひとりの少女が犠牲になる。それは、男たちが自らの願いを叶えるための儀礼殺人だ。彼らは、自分たちの目的のために“仕事”をする。

「隠された悲鳴」は、アフリカ大陸の南、ジンバブエナミビア南アフリカザンビアに東西南北を囲まれた内陸の国ボツワナが舞台のサスペンス小説だ。著者のユニティ・ダウは、ボツワナ初の女性最高裁判事であり、弁護士、人権活動家としても精力的に活動してきた人物。現在は、現役の外務国際協力大臣であり、2018年には国際会議に出席するため来日もしている。

最高裁判事、外務国際協力大臣といった要職を歴任してきた著者が、ボツワナに根深く残る儀礼殺人という野蛮な儀式について、小説(フィクション)という形で書いたのが「隠された悲鳴」だ。

儀礼殺人の犠牲者として、ひとりの少女ネオが3人の男たち(ディサンカ、ボカエ、セバーキ)によって選ばれ殺害される。3人はそれぞれに地位のある者たちだ。警察は、この事件が儀礼殺人であることを知り、「少女はライオンに食い殺された」として捜査を打ち切る。捜査の中では、少女の血に濡れた衣服が発見されていたが、その証拠品も闇の中へと葬られた。

事態が再び動き出すのは5年後。国家奉仕プログラムの参加者(TSP)としてハファーラ村の診療所に派遣されたアマントルが、倉庫で『ネオ・カカン』とラベリングされた箱をみつけたときだった。その箱に入っていたものこそ、5年前にこつ然と消えてしまった事件の証拠品だったのだ。

ネオの衣服が発見されたことで事態は一気に混乱する。村人たちは、5年前の事件の真相を求めて警察に訴えるが、警察としては儀礼殺人という真実を公にしたくない。儀礼殺人が弱者の人権を蔑ろにした野蛮な行為であることはわかっている。しかし、儀礼殺人は、権力者や地位の高い者が、自らの願いを叶えるために弱者である少女を犠牲にする行為だ。だから、この事件が儀礼殺人だと認めることは権力の側としてできない。

物語は、事件をどうにか闇に葬りたい権力側と真実を明らかにしたい村人たちとの対立を軸にして進行する。富裕層と貧困層の対立と言い換えてもいい。

その中核を担うのがアマントルだ。彼女は貧困層である村人の代弁者として、権力者との交渉役を担う。アマントルや、彼女を支える弁護士のブイツメロ、イギリス人学生のナンシー、検察官のナレディとともに真実を求めて動き、政府の代表者たちをコートゥラという集会の場につかせる。

権力者や富裕層のような強者が、貧しい弱者である村人たちを一方的に支配し犠牲を強いる。読者である私たちは、儀礼殺人という特異な伝統に気を取られがちだが、この物語が読者に訴えるのはそういう特殊性の土台にある伝統を重んじる社会構造が、私たちにとってもけっして他人事ではないということだ。

ユニティ・ダウは、「文化や伝統を守るということが弱い者を傷つけることになる」ということに疑問を呈するためにこの本を書いたという。儀礼殺人の犠牲となる少女は弱者であり、彼女が犠牲になったときに警察権力の言い分を受け入れざるを得なかったハファーラ村の人たちも貧しい弱者だった。儀礼殺人は人権問題であり、女性差別の問題でもある。最高裁判事として、国務大臣として、長くボツワナの人権問題の解決に取り組んできた著者が「隠された悲鳴」という小説に込めた想いを、私たちは自分たちの問題として考える必要があるのではないだろうか。