タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「今日もパリの猫は考え中 黒猫エドガーの400日」フレデリック・プイエ+シュジー・ジュファ/坂田雪子訳/大和書房-猫を飼っているみなさん、あなたのおうちの猫もエドガーみたいに考えているかもしれませんよ

 

 

エドガーは6ヶ月の子猫。フレデリック・プイエ+シュジー・ジェファ著、坂田雪子訳「今日もパリの猫は考え中 黒猫エドガーの400日」は、エドガーが“アホ家族”と呼ぶ一家との日々を、エドガーの目線で語る物語だ。

物語は、「とらわれて1日目」からはじまり「とらわれて400日目」まで続く。野良猫で自由気ままに生きてきたエドガーは、保護施設に入れられていたところを“アホ家族”一家に引き取られる。“アホ家族”には、マルクとセヴリーヌというありふれた夫婦とふたりの子ども(5歳のロドルフ、14歳のレア)、ポテロンという犬がいる。

エドガーにとって、“アホ家族”にもらわれてからの日々は苦難の日々でもある。「とらわれて2日目」、“アホ家族”たちになでまわされてエドガーはウンザリしている。それに、赤ちゃんに話しかけるみたいな言葉で話しかけるのもやめてほしい。でも、それも仕方ないのだ。だってエドガーはカワイイのだから。それは自分でもわかっている。

あんまり追い回されるのに辟易したエドガーは、「とらわれて5日目」の朝、ネズミを捕まえてマルクとセヴリーヌ夫婦のベッドに運んでやった。これで、エドガーがただカワイイだけの猫じゃなく、野蛮なこともできるとわからせることができるはずだ。だけど、エドガーの思惑ははずれ、夫婦は怖がるどころか彼を褒めちぎる。「なんてかしこい子なんだ!じょうずにネズミを捕ってきた!」って。

こうして、エドガーと“アホ家族”のたたかいは続く。イタズラを繰り返し、ライトタイプのカリカリには抗議の声をあげる。抱っこやなで回し攻撃をかいくぐり、お気に入りの場所でひとときの休息をとる。

すべてが、エドガーの目線なので、猫が人間をどうみているのかの描写が面白い。人間の考えていることと猫の考えていることのギャップが面白い。

犬と違って、猫は気まぐれというイメージがある。犬は、いかなるときも飼い主に無償の愛を注いで、飼い主になでてもらったり抱っこされたりするのが大好きだ。一方、猫はそのときの気分で態度が全然違ってくる。甘えたいときにはグイグイと「なでろ」「抱っこしろ」と寄ってくるけど、かまってほしくないときには「近づくな」オーラを放つ。人間は、「今なら触ってもいいかな?」とか「抱っこしても怒らないかな?」と様子を伺う。

そういう気分屋さんなところが猫の魅力なのだと、猫好きの人間は言うだろう。私は犬を飼っていて、どちらかといえば犬派だけど、猫も嫌いではないので、猫好きの気持ちもわかる。無理に撫でたり抱っこしたりしなくても、お決まりの場所で丸まってウトウトしている猫を見ているだけでもカワイイと思う。

エドガーは、“アホ家族”と一日一日を過ごしていく中で、少しずつ家族になじんでいく。家族との暮らしの中に自分の居場所をつくっていく。野性的なところは少し薄くなってしまうけれど、その分かわいさが増していく。

そしてなにより、エドガーは“アホ家族”が好きになっていく。大好きになっていく。

エドガーが家族と暮らした400日を読んできた読者は、彼の日々を、ケラケラと笑いながら、フムフムと頷きながら、オヤオヤと眉をひそめながら楽しむだろう。猫を飼っていたら、自分の猫もエドガーみたいに考えているのかなと思うだろう。飼っていなくても、猫ってこんなことを考えているのかもと思うだろう。猫好きならエドガーを愛しく思うかもしれないし、猫嫌いでも、なんだか楽しく思えてしまうかもしれない。

ようするに、猫が好きでも嫌いでも、本書は面白いと思うよということである。