タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

ジュリー・オオツカ/小竹由美子訳「あのころ、天皇は神だった」(フィルムアート)-日米開戦、日系人強制収容、そして終戦と解放。戦争によって分断された人と人とのつながりと奪われた人間としての尊厳。

 

あのころ、天皇は神だった

あのころ、天皇は神だった

 

 

ある日、突然にあらわれた告知。掲示板、木の幹、バス停のベンチ、その他あらゆるところに、その掲示は貼られていた。それは、アメリカに住む日系人たちの運命を決める告知だった。

ジュリー・オオツカ「あのころ、天皇は神だった」は、2002年にアーティストハウスから刊行された「天皇が神だった頃」の新訳である。

本書は、

強制退去命令十九号
列車
あのころ、天皇は神だった
よその家の裏庭で
告白

の5篇で構成されている。ひとつひとつが独立した短編として読めるが、全体を通して読むと、太平洋戦争によって翻弄されたある日系人家族の苦難の物語となっている。

1942年春に、アメリカに住む日系人に対して強制退去の命令が発せられ、彼らは家も仕事もすべて捨てて強制収容所へ送られる。「強制退去命令十九号」では、ある日系人家族の女が、告知を受けて家財道具などを処分する場面が描かれる。その中には、壁にかけられた複製画もあれば、飼い犬も含まれる。女は、ただ黙々と処分をすすめていく。彼女が冷静であるがゆえに、彼女の心に潜む苦悩がにじみ出ているように感じてしまう。

家をおわれた家族が行きつく先は荒涼たる砂漠に建てられた強制収容所だ。多くの日系人家族たちと狭い場所に入れられ、農作業を強制される。様々な噂が収容所に溢れ、明日をもしれぬ身に、一体何が起きるのかと不安に苛まれる日々を、彼らは生きていく。

「あのころ、天皇は神だった」の中に印象的な場面がある。物語の中心となる日系人家族の母親が、強制収容所の過酷な生活環境の中でも自分の身なりに気をつかっている場面だ。(単行本p.77-78)

おかげで老けてしまう、と母親は言った。太陽のせいで老けこんでしまうと言うのだ。毎晩寝るまえに、母親は顔にクリームを塗った。量を決めて使っていた。バターのように。砂糖のように。ポンズのクリームだった。

母親は、スパイ容疑で連行されて収監されている夫に変わってしまった自分を見せたくなかった。だから、少しでも老けこんでしまわないようにケアをするのだ。だけど、収容所生活が長引いていくほどに、母親は希望を見失っていく。食事にも手をつけなくなる。彼女には絶望しかない。

戦争がおわって収容所から解放されても、日系人の苦悩は続く。彼らはアメリカに戦争を仕掛けた日本から来た移民とその子孫だ。戦争が終わったからといって、アメリカの国民感情は彼らをすぐに戦争前のように受け入れることはできない。運良く自分たちの家に戻れた家族は、そこで自分たちが置かれた現実を目の当たりにする。それでも、母親は懸命に自分たちの生活を取り戻そうとする。

写真でしか知らない相手のところへ海を越えて嫁入りする女性たちを描いた「屋根裏の仏さま」で、ジュリー・オオツカは『わたしたち』という人称で物語を描いた。それは、『写真花嫁』といわれる女性たちの誰か一人を描くのではなく、すべての女性たちの物語がそこにあることを意図していた。本書でも、登場する日系人家族は、『女』であり『女の子』であり『男の子』として描かれる。特定の誰かではなく、すべての日系人家族がそこには存在している。あのころ、アメリカで苦難の日々を過ごしたすべての日系人家族の姿が、この物語には描かれている。

 

s-taka130922.hatenablog.com

 

戦争とは、悲劇しか生み出さない。そのことを改めて考える。静かに語られる物語は、静謐であるがゆえに胸の奥底までゆっくりと沁み入ってくる。いつまでも読みつがれて欲しい。

 

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