ヴィンセント・ヴァン・ゴッホでパッと思いつく作品はなんだろう。
『ひまわり』
『アルルの跳ね橋』
『自画像』
『星月夜』
ゴッホは、50年に満たない人生の中で数多くの作品を描いてきたが、その多くは晩年の3年間(1888年から1890年)に描かれたという。バーバラ・ストックの「ゴッホ-最後の3年」は、まさにその晩年の時代を描くグラフィック・ノベルだ。
1888年2月に、ゴッホはパリを離れてアルルに向かう。弟のテオから週に50フラン(現在の価値で5万円くらい)の仕送りをもらい、創作に没頭するためだった。しかし、弟から援助を受けていることが、ゴッホにとってジワジワと精神的な負担になっていく。なんとか絵を売って弟に金を返さなければというプレッシャーが次第にゴッホを追いつめていく。
アルルでのゴッホは、創作意欲に満ちあふれている。アルルの風景や人々との出会いに触発され、一心に創作に励む。だが、彼の作品は芸術家仲間や画商からは冷ややかにみられている。平凡な「なんてことない絵」としてみられている。
本書の23ページに描かれる場面が、ゴッホの絵に対する他者の評価を表している。アルルで知り合った画家のドッジとウジェーヌに桃の木を描いた作品(『花咲く桃の木』1888年)を自信作として見せる場面だ。
ゴッホ「これがおそらく一番の自信作だ。柔らかでありながら賑やかだ。そう思わないか」
ドッジ、ウジェーヌ「・・・」
ドッジ「・・そろそろ乾杯の時間といこう」
自信満々で絵をみせたのに、ドッジとウジェーヌの反応はいまいち。ふたりの沈黙にゴッホも憮然とした表情をしている。
それでも、ゴッホは創作に打ち込む。作品のアイディアは無数にわきあがってくる。しかし、彼の絵はまったく売れない。金がなくなるたびに弟テオに仕送りを請う手紙を送る。テオに対する借金はドンドンと増えていく。そのことがゴッホをさらに追いつめる。
テオが、兄ヴィンセントを援助することを嫌がっていたわけではない。むしろ兄の才能を信じ、兄が創作に打ち込めるようにサポートし続けていたのがテオだ。つまり、ゴッホは自ら、自分自身を追いつめていたのだ。
ゴッホは自分の創作を続けながら、アルルに芸術家の家をつくろうと考えるようになる。芸術家の家に集い、それぞれが自分の創作に没頭する場所とするのだ。ゴッホは、そのリーダーにはゴーギャンがふさわしいと考えて手紙を送った。
ゴッホは常に理想を追い求めている。彼にとっての理想だ。しかし、それは周囲の人間にはまったく理解されない。ゴッホは、積み重なっていく借金、先の見えない生活、理解されない理想に苦しめられる。苦しみはいつしか彼を狂気へと追いやる。そして、ゴッホは自らの耳を切り落とそうとするのである。
ゴッホの絵は、彼の死後に高く評価されるようになり、今ではとんでもない金額で取引されるようになっている。だが、生前のゴッホは本書に描かれているように描いても描いても評価されず、狂気の中に自分を追い込まざるを得なかった不遇の人だ。
そもそも芸術に疎い私にとって、ゴッホといえば顔に包帯を巻いた自画像(耳を切り落としたあとに描かれたもの)の人であり、『ひまわり』を53億円で安田火災(当時。現在の損保ジャパン日本興亜)が購入したことで記憶に残っている人物でしかなかった。
本書を読んで、ゴッホの晩年の3年間を知り、彼がいかに息苦しい人生を生きていたか、どうして耳を切り落とすことになるまでに狂気の奈落へと落ちてしまったのかを知ることができた。それは、私が想像していた以上に、残酷で悲劇的なものだった。
ラストシーンで、ゴッホは広大な麦畑の中でその風景を描いている。1890年『カラスのいる麦畑』の風景。最後のページには、兄ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの墓標と並んで、弟テオドール・ヴァン・ゴッホの墓標が描かれている。ふたりの生没年をみたときに、「あぁ、きっとテオは天国でも兄の面倒をみなきゃと思ったのかもしれないな」と想像した。ふたりの生涯は、幸福とはいえなかったかもしれないけれど、少なくともふたりの絆は強く深かったに違いない。そのことは救いだと思いたい。
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