人生には三度、すごくだいじなときがあるって、わたしは思ってる。それは生まれて一分後と、十さいと、百さい。
「バイバイ、わたしの9さい!」の主人公は、タマラという女の子です。彼女は、『あとひと月と六日』で十さいになります。
冒頭にあげたのは本書の書き出しのところ。タマラが人生の中で大事と考えている3つのポイントです。
・生まれて一分後は、まだおかあさんのお腹から出てきたばかりだから。
・十さいは、もう二度と自分の年を一文字で書けなくなるから(タマラは「人生ではじめて、ほんのちょっとだけ『死ぬ』ようなもの」と言っています)。
・百さいは、一世紀をまるまる生きてきたってことだから。
そして、タマラはあと少しで十さいになるのです。タマラは、いってもたってもいられない感じがします。十さいになるってどういう感じなんだろう。自分はどう変わるんだろう。でも、どうやったらその変化を見ることができるんだろう。タマラは、先生やパパ、ママ、友だちに聞いてみますが、はっきりと答えられる人は誰もいません。
そんなある日、タマラは新聞にこう書いてあるのを見つけます。
世界では、四秒にひとりが、飢えで命を失っています。
タマラはママに訴えます。
「ちっちゃい子どもが苦しんでいるんだよ!飢え死にしてるんだよ!心がいたまないの?」
タマラは、テレビのニュースや新聞で世界中にはたくさんの不幸が起きていることを知ります。彼女にとって、世界はとつぜんに不安だらけになってしまいます。
タマラは、不安でしかたありません。でも、パパもママもなにか行動をしているようにはみえません。
「どうしてなにもしようとしないの?」というタマラに、ママは答えます。「わたしたちもできることはしているのよ」と、でも続けてこう言うのです。「世の中の変えることなんて、できるのかしらね」
子どもというのは好奇心にあふれ、いつだって「なぜ?」を考えています。本書でタマラは、なぜ世界にはこんなに不安がたくさんあるのに、おとなたちはなにもしようとしないのか、と考えています。タマラの「なぜ?」にパパもママも先生も明確な答えを返してあげることができません。
タマラの両親や先生のように、きっと私もタマラの「なぜ?」に答えることはできないでしょう。「なぜ答えられないの?」と問われても、その答えも返せないと思います。なぜなら私は、「なぜ?」と疑問に思うことからも逃げているからです。
『はじめての海外文学vol.4』の推薦作(推薦者は伏見操さん)ということで読んでみましたが、タイトルや装幀からもっと子ども向けのやわらかい作品だと思っていました。実際に読んでみると、おとなである私たちに対して、高いレベルで課題をつきつけてくるような厳しさすら感じさせる内容で驚きました。そして、タマラをはじめ子どもたちの純粋な「なぜ?」に答えられない自分を大いに反省しました。
周囲のおとなたちに答えてもらえなかったタマラは、世の中を動かせる人に話をきいてもらおうと考えます。彼女は、フランス大統領とアメリカ大統領、そしてもうひとり、世界中のどの大統領よりも有名な人、サッカー界の大スターのジダンに手紙を書きます。
タマラの手紙は、3人の人に届くでしょうか。誰かが、話を聞いてくれるでしょうか。その結末はぜひ本書を読んで確認してみてください。さいごには、とても胸が熱くなれると思いますので。