マルセル・プルースト「失われた時を求めて」に、私はちょっとしたトラウマがある。
子どもの頃から本が好きで、中学に入ると自分のお小遣いで文庫本を買って読むようになった。はじめて買った文庫本は、星新一「マイ国家」だった。そこから星新一のショートショートを読み、次に推理小説にハマった。少しずつ長い小説を読むようになった。
とにかく次に読む本を探していた。あるとき、たしか「ダ・カーポ」という雑誌だったと思うが、『世界の大長編小説を読む』的な特集が掲載されていた。その特集で「チボー家の人々」「ダルタニアン物語」と並んで紹介されていたのが、マルセル・プルースト「失われた時を求めて」だった。
なぜ読みたいと思ったのか、今となっては全然覚えていないのだけれど、とにかく図書館に行って「失われた時を求めて」を予約した。そして、第一巻から読み始めたのだが……。
まったくわからなかった。半分も読めずに挫折した。全巻読むつもりで図書館に予約を入れていたが、すべてキャンセルした。しばらく図書館から足が遠のいた。
「収容所のプルースト」は、著者であるチャプスキがグリャーゾヴェツのソ連収容所で同房者に向けて行ったプルーストに関する講義の記録である。ポーランド人であるチャプスキは、ソ連侵攻により捕虜となり収容所へ収監された。
収監されたとき、チャプスキは何も持っていなかったし、収容所には図書室もなかった。驚くべきことに、チャプスキによるプルースト講義は、彼の記憶のみで行われたのである。
なんら資料もなく、チャプスキの記憶のみでテクストが作られ、講義は行われた。しかし、本書を読むと、本当に記憶だけでこの内容の講義ができたのか、とにわかには信じ難く感じる。それほどに、講義の内容は詳細であり、また、チャプスキの語りの魅力もあって、とても惹きつけられる。
プルーストの人生観やその生き方のこと。「失われた時を求めて」の執筆に関するエピソード。作品の解題。チャプスキの語るプルースト像、作品にまつわる数々のエピソードを読んでいくうちに、「『失われた時を求めて』を読みたい」という気持ちがむくむくと沸き上がってくる。
全体で200ページにも満たない本書の中で、チャプスキの講義の部分は、1944年に書かれたチャプスキによる序文と講義ノートの図版ページを含めても80ページほどしかない。それだけしかないのに、それだけで面白いのである。
本書は、『はじめての海外文学vol.4』で翻訳家の三辺律子さんが推薦している作品だ。最初、推薦リストに本書をみつけたときに「難しそう」と思ってしまったのは事実だ。
でも、実際に読んでみて、この本を『はじめての海外文学』として推薦した理由がわかった。本書は、プルーストを読むための『ガイドブック』なのだ。いきなりプルーストを読み始めるのはハードルが高い。それは、私自身も若き日の苦い思い出として残っている。だが、本書でチャプスキの講義を読んでみると、「失われた時を求めて」がとてつもなく面白い本だと思えてくる(実際に面白いだろう)。プルーストの作品に手を伸ばしてみたくなる。
なるほど、これは『はじめての海外文学』にふさわしい作品である。
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