ガタガタ書評ブログ

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イアン・マキューアン/村松潔訳「初夜」(新潮社)- #新潮クレスト・ブックス #創刊20周年 まだ誰もが性に対して臆病だった時代のイギリス。結婚初夜を迎えた若いふたりは幸せな時間を過ごすはずだった。でも、それはあまりに高い壁だった。

先日、映画「追想」をみてきた。原題は“On Chesil Beach”。イアン・マキューアンの同名小説が原作であり、脚本もマキューアン自身が手がけている。

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原作の“On Chesil Beach”は、2009年に新潮クレスト・ブックスから翻訳刊行された。邦題は「初夜」である。それは、この物語が描き出す若いふたりの悲劇の一夜を的確にとらえたタイトルだ。

クレスト・ブックスで刊行されてすぐくらいに本書を読んだ。今回映画をみて、改めて読み返してみた。

歴史学者を目指して学ぶエドワードとバイオリニストのフローレンス。この若いふたりがこの物語の主人公である。舞台は1962年のイギリス。セックスに対するハードルが高く高く存在していた時代。

彼らは若く、教育もあったが、ふたりともこれについては、つまり新婚初夜についてはなんの心得もなく、彼らが生きたこの時代には、セックスの悩みについて話し合うことなど不可能だった。

「初夜」の物語はこうして始まる。ふたりは結婚したばかりで、はじめての夜を迎えようとしていた。夕食を食べながら、ふたりはそれぞれに未経験の夜に期待と不安を感じていた。結婚するまで、ふたりにはセックスの経験がなかったのだ。

イアン・マキューアンが描き出す若い男女のセックスに対する意識の違いは、ユーモラスであり残酷でもある。エドワードは、交際しているときからずっとフローレンスと愛し合うその瞬間を待ち望んでいた。一方のフローレンスが抱いていたのは不安であり恐怖だった。エドワードと抱き合うことを想像すると嫌悪感がわいてきた。

ふたりのセックスに対する意識の違いが、この物語にとって重要なキーワードであり、そこからふたりの物語は残酷な方向へと動き出していく。

ふたりは、ベッドに横たわり、少しずつ互いの距離を縮めていく。物語の全編がふたりの初夜の描写であり、そのぎこちない様子に重ねるように、ふたりの幸せな交際期間のエピソードやそれぞれの家庭事情に関するエピソードが差し込まれていく。

未経験者同士のセックスがどのような結果になるか。知識と想像が導き出すセックスがどのような結果になるか。それは容易に想像できるだろう。ふたりの初夜はあまりに悲しく残酷な形で結末を迎える。フローレンスはホテルの部屋を飛び出し、エドワードは途方に暮れる。

初めての夜の悲劇がもたらしたふたりの未来は、やはり悲しくて残酷だ。部屋を飛び出したフローレンスを追ってエドワードは浜辺までやってくる。ふたりは激しく口論し、幸せだったはずの関係は脆くも崩れていく。そして、フローレンスは、エドワードにとって屈辱的で決定的な言葉を口にしてしまうのである。

今の時代から見れば、「初夜」に描かれるエドワードとフローレンスの物語は悲劇的である以上に喜劇的だと感じられる。こんな時代があったことに驚くかもしれない。セックスについてこんなにも深く悩み、ぎこちないエドワードとフローレンスを呆れるようにみてしまったりもする。

たった一度の失敗でふたりの人生は別々の道を歩むことになる。そんなバカなことがあるだろうかと思う。でも、それが時代なのだろう。悲しくて、切なくて、なにより地味な物語だけど、どこか胸の奥にジンワリと温かいものが広がるような読後感が残った。