タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

温又柔「空港時光」(河出書房新社)-台湾と日本、台湾と世界。過去、現在、そして未来。そのすべてがこの本にはしっかりと記されているように感じた。

本を読むときは必ずカバーを外している。だから、本書を読んでいるときもカバーは外した。カバーを外すと深緑色で、背表紙に薄く「空港時光」のタイトルと「温又柔」の作家名が記されているだけのシンプルなデザインになっていた。

温又柔「空港時光」は、空港を舞台にした10の短編で構成される「空港時光」と「音の彼方へ」と題したエッセイが収められている。

10編の短編は、いずれも日本と台湾をつなぐ物語だ。だがそれは、夏のバカンスに旅立つような旅の思い出を描くような物語ではない。そこには、温又柔さんが持つアイデンティティーがしっかりと書き込まれている。

短編集「空港時光」は、

「出発」
「日本人のようなもの」
「あの子は特別」
「異郷の台湾人」
「親孝行」
「可能性」
「息子」
鳳梨酥(オンライソー)」
「百点満点」
「到着」

の10篇で構成されている。「出発」から「到着」に至る物語の旅だ。そして、すべての短編に温又柔さんと同じく台湾で生まれ日本で育った人たちや、かつて台湾が日本に統治されていた時代を過ごし日本人と密接に関わった祖父や祖母あるいはもっと昔の世代の人たち、台湾から世界に旅立っていった人たちが描かれる。彼ら彼女らは、おそらく皆、温又柔さん自身を映し出した人物たちであるし、温又柔さんが実際に見たり聞いたり経験したりしたことが下地となって物語が生まれているのだと思う。

過去の著作「来福の家」や「台湾生まれ日本語育ち」、「真ん中の子どもたち」そして本書「空港時光」と、温又柔さんの作品は小説であれ、エッセイであれ、すべて作家自身のアイデンティティーを立ち位置として描かれている。その立ち位置はマイノリティーとしての立ち位置でもある。私は、温又柔さんの一連の著作を読んできて、マイノリティーに対する自分の認識を考え直すことができたと思っている。

s-taka130922.hatenablog.com

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冒頭のカバーを外して現れた深緑色の本体装丁について。

10篇の物語のラストに収録されている「到着」は、主人公の咲蓉(しょうよう)が羽田空港に到着し入国審査の列に並ぶ場面で始まる。入国審査の列は、帰国した日本人の列、日本に入国する外国人の列、そして両者に挟まれてある『日本のパスポートは持っていないけれど、永住権をはじめ日本に長中期滞在する在留資格を持つ再入国者』たちの列に分かれていて、咲蓉は再入国者の列に並ぶ。彼女が取り出すのは台湾のパスポートだ。

三歳のときから更新し続けてきた咲蓉のパスポートは、常に深緑色だ。

表紙に『中華民國 REPUBLIC OF CHINA』と金色に刻印されたパスポートが、本書の本体装丁と同じ深緑色なのである。

空港ロビーの窓から見える駐機場の飛行機の写真が使われたカバーを外すと現れる台湾のパスポートと同じ色の本体装丁。そこに温又柔さんの想いがこめられていると感じるのは考えすぎだろうか。

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真ん中の子どもたち

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