タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

チョ・セヒ/斎藤真理子訳「こびとが打ち上げた小さなボール」(河出書房新社)-韓国で長く読まれ続けているベストセラー。貧しき労働者の悲痛な叫びが重く胸に刺さる。

1978年に刊行され、現在に至るまで長くベストセラー、ロングセラーとして読みつがれてきた作品。総販売部数は2016年までで130万部を越えているという。

「こびとが打ち上げた小さなボール」は、韓国の暗部を描き出し、虐げられた労働者たちの闘いがひとつのテーマとして描かれている。そこには、“こびと”と呼ばれ蔑まれた父と、母、そして3人の子供たちが苦しめられてきた貧困と差別があり、生まれながらに貧しき者は生涯その貧しさから抜け出すことができないという格差社会の問題が根底にある。

物語は連作短編の形で記される。冒頭に描かれるのは、せむしといざりの物語だ。再開発地区に暮らし、立ち退きに伴う入居権の不当な買い叩きにあったせむしといざりが、不動産業者に復讐を図る暴力的な短編からすべての物語ははじまる。そこから、貧しく虐げられた者の慟哭の物語がはじまる。

こびとは、様々な職を転々としてギリギリの生活を続けながら妻と子供を養う。子供たちは、父のこびとを蔑みバカにしてきた奴らに深い怒りと恨みを抱き、どれだけ頑張っても貧困から抜け出すことができない社会と搾取する資本家への怒りを抱えている。こびとは自ら命を絶ち、3人の子供は工場労働者として搾取されるしか生きる術がない。

搾取される労働者たる彼らの唯一の希望が、労働組合活動だ。長男のヨンスは、労働者の権利について学び、組合での活動に傾倒していく。経営陣に対して労働者の権利を主張し、賃金交渉、不当解雇の撤回などを求めていく。しかし、彼らの活動、要求は容易には受け入れられることはなく弾圧されることになる。

本書が記された1970年台の韓国は、まさにこのような格差社会の中で労働者が虐げられる時代だった。労働者の権利など存在せず、彼らに手を差し伸べるものもない。彼らの権利を主張するものは、徹底的に弾圧された。本書は、厳しい検閲で発禁処分となることを免れるために複数の媒体で、連作小説として書かれたと訳者あとがきにある。それほどに、政府は労働者の権利を蔑ろにし、資本家を優遇したということなのだろう。

本書のラストもまったく幸福な終わり方ではない。何かしら救いを求めて読み続けてきた読者を突き放すように、物語は幕を下ろす。それこそが、本書が書かれた当時の韓国の社会事情を如実に表しているのではないか。そして、今に至るまで長く読み続けられている理由も、現在の韓国社会の構造が当時と大きく変わっていないということを表しているのではないか。そう感じる。