自分の奥さんを友人に譲渡したり、返すあてのない借金を重ねたり、宿代のかたに友人を人質にしてみたり、などなどと明治、大正、昭和初期の文豪たちに関するエピソードは、平成の今となっては、にわかに信じがたい破天荒さがある。そんな強烈なエピソードを生む友人関係とは、いったいどのように形成されたのだろう。他にどんなとんでもないエピソードがあるんだろう。
書かれた作品からだけでは知ることができない文豪たちのエピソードを集めた本書「文豪たちの友情」は、『もっと知りたい!』、『他にもないの?』という欲求を満たしてくれる。
本書には、萩原朔太郎と室生犀星、正岡子規と夏目漱石、芥川龍之介と菊池寛、など、よく知られた友人関係から意外な友人関係まで13組の友情が記されている。聞いたことのあるエピソードから「エー!」と驚くようなエピソードまで、実にもりだくさんである。
それぞれの友情エピソードを読んでみると、総じて文豪とは変人であるな~と思ったりする。変人であるし、社会に適合できないタイプの人間だからこそ、文豪が生み出す作品には凡人たる我々には想像もできないような彩りや世界が描き出されているようにも思う。
さらにいえば、文豪とは孤独な存在でもあるなと感じる。文豪ゆえに他者と交えられない孤独な立ち位置にいて、それゆえに心を許しあえる友人の存在が何よりも大きく強くなっているのだろうと感じるのだ。本書を読んでいると、文豪たちの友情はすべては深く親しい関係のままに長く続いていくわけではない。ちょっとした感情の行き違いや勘違いをきっかけに、ふたりの関係は脆く崩れ、長く疎遠になっていくこともある。それでも、長い月日を経て、ふたたび相まみえた友情は壊れる前とまるで変わらぬ、むしろそれ以上に強い結びつきで深みを増していたりする。そういうところも含めて、文豪とは面倒な輩である(笑)
本書に記されるのは『文豪同士』の友情だ。きっと、文豪は文豪同士でなければ関係を保つことができないのだろう。正直、私が本書に紹介されている文豪たちと友だちになれるかと問われれば、たぶん、いや絶対に無理だと思う。「類は友を呼ぶ」ではないけれど、同じ文学の世界に生きているからこそ理解しあえる関係があったのだろうと思うのである。