タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

安達祐介「本のエンドロール」(講談社)-普段はあまり気にしたことはなかったけれど、私たちが本を読めるのは、その本を印刷・製本してくれる人たちの存在があってのことだと気づかされた。

この本を知ったのは、2月に『神楽坂モノガタリ』という書店で行われたイベントで、三省堂書店の新井見枝香さんが「ゲラで読んでメチャクチャ面白かった」と絶賛していたからだ。その後、出版社が発売前の作品のゲラを提供している『NetGallery』というサイトで本書も公開されていたので、リクエストして読み始めた。本当にメチャクチャ面白かった。

www.netgalley.jp


「夢をお聞かせいただきたいのですが」

質問に立った女子学生は、両手でマイクを握り締め、緊張した面持ちで訊ねた。
豊澄印刷株式会社営業第二部のトップセールス・仲井戸光二は座ったままマイクを手に取った。
「夢は、目の前の仕事を毎日、手違いなく終わらせることです」

本書は、学生向けの就職説明会の場面からはじまる。営業マンとして成績優秀な仲井戸の味も素っ気もない言葉に、同じ営業マンである浦本学ぶは憤る。そんな浦本の気持ちはおかまいなしに仲井戸は困惑する学生たちに向けてさらに続ける。

「私たちの仕事は印刷業です。注文された仕様を忠実に再現する仕事。夢は何かと訊かれて、強いて言うなら今お答えしたとおり、目の前の仕事を毎日手違いなく終わらせることです」

本が私たちの手元に届くとき、それは紙に印刷され、製本され、完成した商品として届けられる。作家がどれだけ気持ちをこめて物語を紡ぎ出そうが、装丁家がどれだけ時間をかけてデザインを考えようが、最後にそれを〈本〉という形にして私たち読者に与えてくれるのは、印刷会社であり、製本会社の仕事があってこそのことだ。印刷・製本の機能が正しく機能していなければ本は出来上がらない。仲井戸の言う「目の前の仕事を手違いなく終わらせる」とは、まさに印刷・製本の機能を正しく実現するということだ。

でも、それでは印刷会社には夢がないのか。浦本は、同じ質問に対して、仲井戸に反発するように答える。

「私の夢は…印刷がものづくりとして認められる日が来ることです」
話しながら、就活生たちに少しでも夢を感じてもらえる言葉を、頭の中で模索する。
「本を刷るのではなく、本を造るのが私たちの仕事です」
言葉につられて、気持ちが熱を帯びる。
「印刷会社は…豊澄印刷は、メーカーなんです」

物語が完成しただけでは本はできない。印刷会社、製本会社が本を造る。その考えは、浦本も仲井戸も共通している。浦本は、だから印刷会社は本を造るメーカーなのだと考え、仲井戸は、だから印刷会社はその機能を果たすことが使命だと考える。その違いが、ここから始まる物語の軸となっていく。

〈ものづくり〉の現場に立って重要な役割を担っていると考える浦本は、その気持ちが空回りしてときに窮地に陥る。生産管理部に迷惑をかけ、印刷工場の現場に無理な対応を押しつける。作家、装丁画家、編集者の無理難題や理不尽な要求、強引な手法に翻弄され、周囲をトラブルに巻き込みながら、彼は印刷会社の営業マンとして成長していく。

本書の魅力は、本が生まれるまでのプロセスを丁寧に描いているところだと思う。本のページデザインや印刷工程の管理、カラー印刷に必要な色の調合、機械のメンテナンス、誤植の対応、その他様々な工程やトラブルへの対応を経て、本を本としての形を得る。

だが、彼らの頑張りや苦労を私たちはほとんど知らない。彼らの存在は、本の巻末にある奥付に記された会社名の中に埋もれている。

そんな埋もれた人たちの存在に光をあてたのが、本書「本のエンドロール」なのだ。エンドロールとは、映画の最後に流れるスタッフロールを指す。映画では、監督やプロデューサー、出演者だけでなく、すべてのスタッフたちの名前がエンドロールに記されている。本も同じなのだ。作家や装丁家、発行人以外にも、一冊の本に関わるスタッフはたくさんいるのだ。

本書では、最後にこの本に携わったすべてのスタッフの役割と名前が記されている。印刷営業、本文進行管理、校正、刷版、本文印刷機長、印刷オペレーター、製本進行管理、仕上げ、表紙貼り、スリップ・ハガキ印刷、配送、配本など、ひとつの本を作るためにこれだけ多くの人がそれぞれの役割を果たしているのだということに驚き、同時に感謝する。

本はこうして生まれるのだ。こんなに多くの人の手を介して生み出されるのだ。そのことに改めて、いやきっと初めて気づくことができた。