タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

ジョン・アガート作、ニール・パッカー画/金原瑞人訳「わたしの名前は「本」」(フィルムアート社)-『本』が語る『本』の歴史。まるで冒険小説を読んでいるようなワクワクが味わえる一冊

 

※こちらは、フィルムアート社の読者ゲラモニター募集に当選して、いただいたゲラを読んでのレビューとなります。

まるで冒険小説を読んでいるようだ。本書を読み進めながらワクワクとドキドキがずっと続いていた。

「わたしの名前は『本』」の主人公は、『本』だ。『本』が自らの歴史を自らの言葉で語る。原始、まだ言葉を持たなかった時代の意思疎通から、やがて文字が生まれ、文字を石板やパピルスに刻むことで『書物』が生まれた。それはいつしか紙に記され、活版印刷より広く普及するようになる。

 

今、私たちは気軽に『本』を手にすることができる。街にはたくさんの『本』があふれている。『本』はたくさんの事を私たちに教えてくれる。歴史、時事問題、見知らぬ世界、空想の世界。そこには無限に世界が広がっている。そして、たくさんの幸せを与えてくれる。

『本』が語る歴史は、波乱万丈だ。印刷技術のなかった頃は、限られた者だけの楽しみだった『本』は、印刷技術と発明と蒸気機関による自動印刷の発展によって大衆の者となった。しかし、あるときはその時代の権力者による思想弾圧の矢面に立たされ、焚書の犠牲となって多くの『本』の命が奪われた。秦の始皇帝ナチスドイツ、サラエボ、そしてイラク。権力者が自らの存在を否定し脅かすものとして『本』は目の敵にされた。それでも、人々は『本』を守り、権力者の魔の手から『本』を救うためにその身を犠牲にした。

そして今、『本』はまた大きな変化の時を迎えている。それは、電子化という変化。電子書籍が登場し、タブレットや専用端末ひとつに数百冊、数千冊の本を持ち歩ける時代。だが、それは直ちに『紙の本』の衰退を意味するものではない。本書の語り部たる『本』は、こう語っている。

このデジタル環境に、わたしはどう対処すればいいだろう?
わたしたちがどんな存在かは、もうわかってもらえていると思う。わたしは逆境に強いのだ。心ない連中によって仲間が焼き捨てられるところを、数え切れないくらいみてきたわたしは、サイバー空間など少しも恐れていない。

私は、『本』を読む者として、この物語を愉しみながら読み進めた。時に感心し、時に憤り、時に感動し目頭を熱くした。

『本』はいつでも私のかたわらにあって、どんなときも私の相棒だ。ぞんざいに扱うこともあるし、本棚にさしこんだままその存在をすっかり忘れてしまうこともある。それでも、『本』は私を裏切ったりシない。そのページを開けば、いつでも私を受け入れてくれる。夢をみさせてくれるし、感動も与えてくれる。深い知識と経験を得させてくれる。

今、改めて『本』の存在価値に気づかされた。この本を読めてよかった。