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温又柔「真ん中の子どもたち」(集英社)-自らの立ち位置(アイデンティティ)を見つめ直すための作品

温 又柔 集英社 2017-07-26
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言葉をあまり意識して使ったことがない。私にとって言葉は当たり前のようにそこにあって、無意識に使うものであり意識的に使うものではないからだ。

温又柔「真ん中の子どもたち」には、3人の人物が登場する。主人公であり物語の語り部〈私〉である天原琴子。上海に短期語学留学した琴子と同室になった呉華玲。華玲と同じクラスで学ぶ龍舜哉。上海で中国語を学ぶ3人には、それぞれに台湾、中国の血が流れている。

琴子には、日本人の父と台湾人の母がある。
華玲には、台湾人の父と日本人の母がある。
舜哉の両親はふたりとも中国人だが帰化して日本国籍を有している。

 

それぞれに異なる家族環境の中で、彼女たちは出会い、関係を深め合う。それぞれのアイデンティティやそれぞれの言葉について、ときに怒り、ときに笑い飛ばし、ときに困惑し、ときに諦める。それは、彼女たちのような“真ん中”に立っている子どもたちの宿命のようなこと。

国籍の違う両親の真ん中にいること。
中国語、台湾語と日本語の真ん中にいること。
大陸と台湾の真ん中にいること。

中国語を学ぶ中で、彼女たちはそれぞれに自分の立つべき場所を見つけ出そうとしている。

デビュー作である「来福の家」(すばる文学賞佳作の「好去好来歌」と表題作「来福の家」を所収)や台湾で生まれ3歳から日本で育ってきた著者の家族や台湾、日本語に対する立ち位置や愛情を書き綴った「台湾生まれ日本語育ち」、その他いろいろな文芸誌で発表しているエッセイや創作で、温又柔は終始、家族や国や言葉に対する意識を表現してきた。それは「真ん中の子どもたち」でも一貫している。

s-taka130922.hatenablog.com

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琴子、華玲、舜哉は、それぞれに異なる立ち位置、環境に置かれていて、それぞれがそれぞれに言葉や国、家族に対する意識や考え方をもっている。そして、それはすべて温又柔という作家の中にある意識である。琴子、華玲、舜哉は3人で温又柔なのだ。

真面目でおとなしい性格の琴子は、華玲や舜哉と付き合っていく中で少しずつ自分の立つべき位置を見つけていく。

琴子は、クラスで発表する作文の中で「日本語は“父語”である」と書く。そして、台湾人である母親の言葉である中国語(台湾語)は“母語”であると書く。 日本人を父親に持ち、日本語で育ってきた琴子にとって、父語である日本語は、何も不自由もなく使える言葉だが、母語である中国語は十分に使うことができない言葉。だからこそ、琴子は母語である中国語も父語である日本語と同じように使いたいと願う。真ん中の子どもである琴子には、父語と母語が合わさることが彼女にとっての“母国語”となるのだ。

本書は第157回芥川賞の候補に選出された。残念ながら受賞には至らなかったのだが、ひとりの選考委員の選評が物議を醸すことになった。その選評がどのような内容だったかをこのレビューで記し、それを評価・批判するつもりはない(気になる方は探してみて下さい)。小説の読み方や小説から何かを感じることは、読み手の自由であるし、それが正しいわけでも間違っているわけでもない。

私は、温又柔「真ん中の子どもたち」を読んで、自分自身を意識すること、様々な立ち位置にある多くの人々に対して広い視野を持つことを学べたと感じている。すべての文学作品が読み手に何かしらの学びや気づきを与えてくれるのだとしたら、本書は私にとって最高の文学作品だと思う。

 

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