タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

松浦理英子「最愛の子ども」(文藝春秋)-松浦理英子が描く愛の形は、どこかいびつで不穏に見える。本書に描かれる少女たちの〈疑似ファミリー〉もやはりいびつで不穏だ。

最愛の子ども (文春e-book)

最愛の子ども (文春e-book)

 
最愛の子ども

最愛の子ども

 

 

松浦理英子が描く愛の形は、いつもどこかいびつで不穏な空気をまとっているように思う。映画化もされた「ナチュラル・ウーマン」は、女性同士の恋愛を赤裸々に描いた小説だし、「犬身」は愛する人の『犬になりたい』と願った主人公が本当に犬になって愛する人に飼われる物語だった。また、「親指Pの修行時代」では、ある日突然足の親指がペニスになってしまった主人公の悲哀をユーモラスに描き出していた。

最新作「最愛の子ども」は、前作「奇貨」からおよそ4年ぶりに発表された作品である。舞台となるのは玉藻学園という私立の中高一貫校。男女共学の学校だが、男子クラスと女子クラスに分かれていて、その女子クラスの生徒たちが主役だ。

 

物語の中心となるのは、舞原日夏、今里真汐、薬井空穂の3人。彼女たちは、日夏=パパ、真汐=ママ、空穂=子ども(王子)という役割が与えられ〈疑似ファミリー〉として描かれる。

本書は、『わたしたち=クラスメイト 』が〈疑似ファミリー〉を見守っているという構図で描かれる。

物語の前半から中盤に描かれる〈疑似ファミリー〉のエピソードは、いわばティーンエイジャーの“ごっこ遊び”だ。時にユーモラスで、時に微笑ましく、時に感情的なエピソードが積み重なり、〈疑似ファミリー〉内での役割や力関係、〈わたしたち〉から見る客観的な姿がそこに存在している。

だが、物語の終盤、空穂の母親である伊都子さんが存在感を増してくると、話は少しずつ不穏な空気をまとってくる。伊都子さんと空穂の母娘関係の複雑さと、〈疑似ファミリー〉の中の、特に日夏と空穂の関係との対比があって、そこに起きる事件。〈疑似ファミリー〉の関係性は少しずつ崩れ、日夏を空穂から遠ざけたいという伊都子さんの欲求が事を大きくし、事件は少女たちではコントロールできない方向へと動き出す。

作中に描かれるエピソードは、年頃の少女たちに起こりがちで、ありきたりなことの積み重ねなのかもしれない。彼女たちの関係性は、純粋であり、でもそこはかとないエロスの匂いが漂う。必ずしても性的な面が強調されているわけではないが、15、16、17歳の多感な少女たちには、やはりどこか危険なものが潜んでいるように感じる。その危うさが、この物語にどことなく不穏なイメージを想起させる。それは、松浦理英子という作家の作品を、これまでに数作読んできた経験から、著者の描く人間性や愛情、愛憎というものが、そんな単純なものではないというイメージがあるからだ。

松浦理英子は、本書刊行後の読売新聞のインタビューで、この作品を「親の世代として、子どもたちの世代に何かを手渡すつもりで書きました」と答えている。

www.yomiuri.co.jp

私は、この作品から、どこか不穏でいびつな関係性が描かれているような印象を受けたが、このインタビューを読むかぎりでは、著者自身はもっとストレートに子どもたちの世界を描こうとしたということのようだ。それでも、松浦理英子という作家の描き出す物語には一筋縄ではいかない何かが潜んでいると思ってしまうのは、まだまだ読みこむ力が足りていないのかもしれない。

www.honzuki.jp

 

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