タカラ~ムの本棚

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智佳子サガン「銀の画鋲~この世の果ての本屋と黒猫リュシアン」(書肆侃侃房)- #書肆侃侃房15周年 ここではないどこかの島にひっそりとある古本屋には老人と黒猫が住んでいました

銀の画鋲: この世の果ての本屋と黒猫リュシアン

銀の画鋲: この世の果ての本屋と黒猫リュシアン

 
銀の画鋲: ?この世の果ての本屋と黒猫リュシアン?

銀の画鋲: ?この世の果ての本屋と黒猫リュシアン?

 

 

人生につまづいたとき、一冊の本に救われることがある。通りすがりにふらりと訪れた書店の棚に、長いこと置き去りにされていた一冊の本が、ずっと自分を待っていてくれたような気がする。

智佳子サガン「銀の画鋲」は、とある小さな古本屋を舞台にしたファンタジー。かつてアトランティスがあったといわれる場所に近い「月の光に照らされた島」にある「サンキエムセゾン」というその古本屋には、ワルツさんというおじいさんと黒猫のリュシアンがいる。「サンキエムセゾン」とは「五番目の季節」という意味のフランス語だ。

 

店にはあまり客はこない。ワルツさんはいつもよだれを垂らして眠り込んでいる。そして、ときおりリュシアンに話しかける。自分の生い立ちとかの身の上話を話して聞かせる。

店にはほとんど客はないけど、毎日やってくる人がたった一人だけいる。牛乳配達のカトリーヌだ。彼女は、島の教会に住み込んで下働きをしている。母親と一緒に教会に引き取られて島に来たけど、母親は亡くなって今ではカトリーヌひとりきりだ。牧師夫婦、とくに奥さんとはうまくいっていない。牧師の奥さんは、カトリーヌを目の敵にしていて、彼女がワルツさんの本屋に通ったり、本を読んだりするのが気に入らない。

ワルツさんは、カトリーヌのことが心配でならない。リュシアンも、はじめはカトリーヌを疎ましく思っていたけど、次第に彼女の境遇に心を痛め、彼女に辛くあたる牧師夫妻に憤る。

物語は、黒猫リュシアンを語り部として記されていく。どこか全体的に暗いイメージが漂っている。それは、紛れもなく死のイメージだ。黒猫、老人、不遇な孤児の娘。正直、最後までハッピーを感じさせることもなく、物語は不気味なまでに静かに流れていく。だけど、それは決して不快な静けさではない。ただひたすらに静謐である。

なぜ、舞台を本屋にしたのか。この短い小説の中に、その理由を見いだすことは難しい。本屋でなければいけないという理由もない。だけど、本を愛する私のような読者からすると、本屋であることで救われるところもあるように感じる。前述の通り、本書を支配するのは死のイメージだ。もし、そのイメージだけにフォーカスしてこの物語が語られていたら、きっと読んでいて辛くなったと思う。本屋を舞台にして、その本屋をわずかに訪れる客のエピソードを差し込むことで、わずかでも死のイメージを生のイメージに引き戻せていると思うのである。

死という悲しみの中から微かに見える生の光。その光を生み出すのが本の力だと、本を愛する者として信じたい気持ちになった。

P.S.
本書は、書肆侃侃房15周年記念プレゼントに当選していただいた5冊の中の1冊です。

 

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