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キャンデス・フレミング/三辺律子訳「ぼくが死んだ日」(東京創元社)-ちょっとだけ怖いけど、悲しくて、そして切ないゴーストストーリー

ぼくが死んだ日 (創元推理文庫)

ぼくが死んだ日 (創元推理文庫)

 
ぼくが死んだ日 (創元推理文庫)

ぼくが死んだ日 (創元推理文庫)

 

 

深夜に、人気もなく街灯もない道を走っていたら、ヘッドライトの先に突然若い女性の姿が浮かび上がる。慌ててブレーキを踏んで車を止めると、その女性が「道に迷ったので街まで乗せて欲しい」と言う。深夜の山道に置き去りにするわけにもいかず車に乗せる。なんとも陰気で薄気味悪い女性だ。しばらく車を走らせて、何気なくバックミラーを覗いてみると、そこには女性の姿が映っていない。慌てて車を止めて後部座席を確認してみると、シートはビショビショになっていた。

わりとよく聞く怪談ネタである。

 

キャンデス・フレミング「ぼくが死んだ日」は、マイクが帰宅のためにうっそうとした保有林の中の道を車で走っているところから始まる。突然目の前に現れた全身びしょ濡れの少女。彼女・キャロルアンは「家まで乗せて欲しい」と言う。マイクは渋々キャロルアンを助手席に乗せ、彼女の指示通り車を走らせて《モリシー》と表札のかかった家にたどり着く。キャロルアンを下ろしてしばらく走ってから、マイクは助手席の床に黒と白のサドルシューズを見つける。キャロルアンが履いていた靴だ。彼は再び《モリシー》の家を訪れ、そこで衝撃的な事実を知る。そして、〈ホワイト墓地〉を訪れ、そこに眠る若きゴーストたちの話を聞くことになる。

本書に登場するのは、話の聞き役となるマイクを除いて全員がゴーストだ。それも、みなティーン・エイジャーで、15歳~17歳といった若さで亡くなっている。

 キャロルアン(1982~1999) 17歳
 ジーナ(1949~1964) 15歳
 ジョニー(1920~1936) 16歳
 スコット(1995~2012) 17歳
 デイヴィッド(1943~1958) 15歳
 エヴリン(1877~1893) 16歳
 リリー(1982~1999) 17歳
 リッチ(1965~1981) 16歳
 エドガー(1853~1870) 17歳
 トレイシー(1959~1974) 15歳

生まれた時代も、性別も、生きていた環境も違う若者たち。ただ共通しているのは、全員が若くして、しかも病気などではなく事故などの理由で亡くなったこと。そして、彼らが自分たちの死を、死に至る経緯や死んだ理由を聞いて欲しいと望んでいること。

妄想癖があって嘘つき呼ばわりされていたジーナは、そのために事件の汚名を受けたまま死んでいった。
展覧会に出すための写真を撮るために廃墟となった精神病院に忍び込んだスコットが最後に写したのは自分が死んでいく姿だった。
スクラップ置き場で拾った像に取り憑かれ車を狂ったように走らせるようになってしまった友人を救うために、リッチは自分が犠牲となった。

彼らの話は、時に荒唐無稽でありファンタジーのような世界であったりする。妹が通販で購入した《怪物》と戦って命を落としたというデイヴィッドや、双子の姉ブランチとともに呪われた鏡に飲み込まれたエヴリン。どちらも非現実的な話だ。

様々な死の事情がある。それがたとえ、非現実的な妄想の産物であったとしても、語る彼らにとってはそれが事実であり、彼らの話を聞く者としてのマイク(=読者)は、彼らの話に耳を傾け、彼らの思い残しをしっかりと受け止める役割を担う。

本書は、ゴーストストーリーであるが、ヤングアダルト小説に分類される作品であり、日本の怪談物のような死者たちの怨念に埋め尽くされたようなおどろおどろしさは全く存在しない。非常に読みやすいし、ちょっと怖いけれども「読んだら夜ひとりで寝られなくなる」ということもない。だから安心して読める。読み終わって、人が死ぬということ、それも若くして死ぬということの悲しさ、切なさを感じられれるような作品だと思う。